スリランカ旅行前半は、南西部の海岸をどんどん南下していった。そのあたりは、一昨年末の大津波で甚大な被害を被った地域である。コロンボとゴールの間の海岸でちょっと喋った男の子(といっても36才らしい)は「このあたり(の津波)は5メートルぐらいだった」と言っていた。

道のそばには、まだ壊れたままの家がたくさん残っている。この家は、外側は残っているが、中は何も残っていない。形をとどめていない家も多数。海岸にはところどころにお墓もあった。津波のせいかどうかは不明だが。
今回のツアーの目的は「直接届ける」ことであったので、いろいろな施設へ行くという貴重な体験ができた。その一つがアウガッラの難民キャンプ。津波で家を失った人々が木造の仮設住宅に80世帯住んでいる。ちなみに子供は400人で、まだ増えそうな勢い。元々海岸の建築禁止区域に勝手に家を建てて住んでいた人々なので、政府としても救済のしようがないらしい。
どうも物をあげるのが苦手な性分で(物が介在すると、お互い中身が見えなくなるような気がして抵抗がある。他の方がなさるのには異存はまったくないのだが)、もっぱら人と喋っていた。また、皆さん、ほうっておくと、どんどん話しかけてくるのだね。初めは、自己紹介大会(「これは兄弟」「これは子供」「これはお母さん」「名前は?」「どこから来たの?」などなど。「ニュージーランド?」「インドネシア?」と言われたところをみると、そこから来た人がいたのであろう)で、気がついてみると、群がる子供からシンハラ語を教わっていた。難しいんだよ、シンハラ語の発音。
「こう?」「ちがーう!」などとやっていると、一人の女の子が腕を引っ張る。ついて行ってみると、お裁縫教室だった。素通しのスペースで、何人かの女性が自分で教材を作って、刺繍を教えているらしい。技能は現金収入に結びつくものね。教育は絶対必要だものね。

先生と手作りの教材。

作った刺繍と子供たち。
「他の子は?」と聞いたら、「あっち」と我々のバスを指して笑ってた。
今の私にできることは、このことをずっと忘れないでいることと、伝えること、必ず渡る手段を考えて某かのお金を出させていただくことぐらいだ。教育については、もしかしたら手伝えることがあるかもしれないが、それは今すぐにではない。
だから、こうやって書いておく。
みんなに幸があることを祈っている。
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