何語で喋るか
スリランカの公用語は、シンハラ語・タミル語・英語の3つである。シンハラ語もタミル語も知らないので、頼りはちょぼちょぼの英語のみ、と思っていたのだが、意外にそうでもなかった。
【日本語】
・ガイドのエランガさん
やたらに日本語が上手いと思ったら、日本の大学に4年間留学していたそうだ。日本語能力試験1級(英検みたいな感じの外国人向け日本語試験。1級はむずかしい)を持っているとのこと。
・お茶工場のお姉さん
キャンディの手前の紅茶工場(たぶんGeragamaという農園)で紅茶売場にいたお姉さん。コロンボ大学で勉強したとかで、発音がとてもよかった。
・象乗り場のお兄さん
キャンディ近くのピンナワラに象に乗せてくれるところがあるのだが、受付のところにいたお兄さんが日本語を話すので、びっくり。大使館で習ったらしい。
・宝石屋のお兄ちゃん
キャンディの宝石屋で日本語で話しかけてきた。店員さんは全員日本語ができるとのこと。商売そっちのけで話していたのだが、図書館で独学したというわりには、こみいった話ができて偉かった。
・ゴールの日本語の先生
コロンボとゴールの間で、道端で椰子ジュースを飲んでいたところ(黄色い椰子の実に穴をあけて飲む。ポカリスエットみたい)、突然話しかけてきた。高松で技術研修を1年間して、その後も研修を続け、今はゴールで教えているとのこと。1年のわりには、ものすごく上手かった。連絡くれないかなあ。
椰子の実立ち飲み屋。
【英語】
・ウェイターのお兄ちゃん
コロンボのグランドオリエンタルホテルで朝ご飯を食べて、ポットに紅茶を入れてもらったら、話しかけて止まらない。スリランカにも桜のような花が咲くと言っていた。
・ヤーラ国立公園のレンジャーのおっちゃん
サファリのジープに同乗したのを幸い、質問しまくった。「象は何頭ぐらいいるの?」とか「孔雀は雌の方が多いの?」とか「あの豹は何歳ぐらい?」とか。豹を見たときは「べーりーらっきー」とガッツポーズを交わしたり。ジープを降りるときには「じゃ降りるからね」と言ってくれたり。ありがとう、おっちゃん。
・宝石屋のおっちゃん
カタラガマのホテルで、「見るだけ」(これだけ日本語)と言って、ほんとに見るだけで、見せてもらいながら延々と喋る。大阪のカップルが眼鏡を送ってくれると言いながら送ってくれないとぼやいていた。できない約束をしてはいかんなあ。もし心あたりの方がいらしたら、是非送ってあげてください(無理か)。
・貝売り兄ちゃん
ゴールの手前の海岸で、貝を拾っていると、物売りが来る来る。まず、布売りのおばちゃん、次に貝売りの兄ちゃん。断ると素直に引き下がるのだが、拾っている手の中に、ざらっと小さい貝が登場。見ると貝売りの兄ちゃんだ。「どっから来たの?」「年は?」「結婚してる?」…ナンパかい。いい度胸だ。そこは適当に受け流して津波の話を聞く。
・アウガッラの人々
アウガッラの難民キャンプの人々。詳細はこちら。
・幼稚園の先生とお母さん
カタラガマで幼稚園に行った。24才の女性が独力で貧しい子供のために開いているところだという。親御さんから1か月100ルピー(100円)だけもらって、洋服は手作り、その中から子供のために貯金もしているとのこと。お金を寄付したら「ブランコが作れる」と喜ばれた。後ろで見ていたお母さんは18才。子供は3才。コロンボからお嫁に来て淋しいそうだ。
カタラガマの幼稚園で。
【媒介語なし】
・ゴールの人々
ゴールで知的障害者の施設を訪問した。篤志家のご夫婦が個人でやっているところだという。媒介語はまったくないのだが、皆さん平気で話しかけてくるので、こっちも平気で日本語で話す。なんとかなるもんだ。バングルをたくさんしていたので「きれいだねえ」と日本語で言ったら、「はいっ」とくれて驚く。大事にするね。
そういえば、魚市場のおっちゃんも媒介語なしだったな。
・パラピティーヤの人々
バスを停めていたら、道路の向かい側で夕涼みをしている人々が身振りで話しかけてくるくる。「クリケットやんない?」とか「降りておいでよ〜」とか。こちらのグループの子供が応対していたのだが、妙な身振りは出てくるわ(あれは、絶対ジャッキー・チェンの「蛇拳」か「蟷螂拳」だと思う)、ギャラリーはどんどん増えるわ。しまいには、訪問先の老人ホームに一緒についてきてしまったのだった。
パラピティーヤの野次馬な人々。
言葉ができると、こみいった話ができて楽しいけれど、できなくても何とかなるものである。
みなさん、ありがとう。楽しかったよん。
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