札幌で「無極」を観る
映画ネタ連投。
ちょうどうまく時間が空いたので、札幌シネマ・フロンティアで「無極(Promise)」を観てきた。割とお客さんが入っていて、よかったよかった。香港で観たときより、スクリーンも大きく、見やすくて嬉しい。あの時は、狭い映写室の一番前でのけぞりながら観ていたものなあ。
二度目なので、笑う気満々だったのだが、あらためて字幕つきで見直してみると、思ったより笑わず。寓話として観ると悪くないと思う。
真田広之、やっぱり偉い。光明将軍のときは傲慢な感じ、落ちぶれてからは恋する男の悲哀がよく出ていた。乗馬姿も美しい。そして、吹き替えなしで中国語で通したのはとても偉い。
考えてみると、主要登場人物のうち、リュウ・イエ以外は、チャン・ドンゴンもニコラスもセシリアも普通語母語話者ではないのよね。セシリアは吹き替えられてたけど(ニコラスも?)。
日本人に対する中国語指導として銭波さんがクレジットされていたが、してみると、「牛」のシーンの独眼(崑崙の最初の主人)を演じた「銭波」はこの銭波さんだろう。たしか、NHKの中国語講座や「大地の子」の中国語指導(最終回にガイド役でゲスト出演していた)をしていた方だ。
チャン・ドンゴン演じる昆崙とリュウ・イエ演じる鬼狼は、誇りを取り戻していくところがよかった。最後の裁判シーンの「嘘だけど実はほんと」のところ、光明と昆崙の心中はいかばかりかと思う。セシリア演じる傾城が愛していたのはどちらかなあ。「太陽と月が一緒に現れるとき出会う」とサドな満神さまに言われていたが、昆崙に対しては「二度助けてもらった」という行為に対してのものだろうし、人となりを知っているのは光明だしなあ。あのラストだと「得られない真実の愛」の対象は光明の方が自然なんじゃないだろうか。傾城はずーっと気づかなかったわけだし。
鬼狼の黒衣がどんなものかもわかったのだが(それがわからないとラストがわからないの)、ニコラス演じる無歓、ああいうものが作れるなら、他にもいろいろできるんじゃないのか?
それにしても無歓、自分の性格が悪いのを他人のせいにしてはいけません。きれいだけど。屈折してるよ、君。なんだかもう、「食べ物の恨みは恐ろしい」とか「饅頭怖い」とか「三つ子の魂百まで」とか、さまざまな慣用句が脳裏を駆けめぐる。香港で「俺はお前に感動したぞ」と光明が無歓に言うシーンで爆笑が起こったの、わかるなあ。
しかし、けっこう入っているお客様、笑う人はいなかったような気がする。「笑わなかった」と言いつつ、やっぱり、冒頭の「ドンちゃんの肉ジャンプ」のシーンと、凧揚げと「1回だけ登場するGood Job棒」には笑ってしまったんだけどな。人差し指を伸ばした「指さし棒」はプレゼンで使いたい。レプリカはないのかな。
GJ棒。
追記:香港版DVDを見直したら、ラストシーンが違うのを発見。日本版の方がわかりやすいが、香港版のほうが含蓄があるかも。どちらがよいのだろう?「スーパーマン」みたいなシーンがカットされたのはいいけれど。
あと、字幕で、鬼狼の昆崙に対する台詞「お前は走っているのではない。逃げているのだ」が抜けていたのが惜しまれる。光明の一人称は「わし」より「俺」のほうがよかったのではないだろうか。
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コメント
これは“チッチキチー棒”でしょう。何本もあるのね。
期待を大いに裏切られたんだけど又見たいですね。
このレビューを読んだら更に…。
又笑っちゃうと思うけど。
投稿: hanatya | 2006.03.04 22:32
「チッチキチー」棒という言い方もあるのですか…。
私的には「GJ棒」なのですが。
「指さし棒」は部下も持ってましたね。
今、DVDを観ているのですが、
劇場で観る方がよいと思います。二度目は評価が変わります。
是非もう一度!
投稿: きたきつね | 2006.03.04 22:36
私も先週見てきました。blogの記事にしようかと思っていましたがうまくまとめられず断念。きたきつねさんのblogを読んですっきりしました。「食べ物の恨みは恐ろしい」
傾城の「愛」の対象ですが、私は光明・崑崙両方に対するものとも思うのです。「王を倒した者は誰か」明かされることにより、裏切りを知ることによる喪失、本来の愛の対象を処刑され失う喪失と。どちらへの愛も失うことになるのだなあと私は感じました。
あの裁判のシーンではとても切なくなりました。
日本語ぺらぺらの中国の方とこの映画について話す機会があり、「外国の人はこの話わかるのかなあ?」といっていたのですが、何か中国の故事に由来しているのかしら?
きたきつねさん同様、私も即「Good job棒」と命名したのですが、「ちっちきちー棒」という言い方もありですね。私の見た回では「GJ棒」と「肉ジャンプ」の場面、笑いが出ていましたよ。
長文すみません。
投稿: りんめい | 2006.03.05 00:13
「食べ物の恨みは恐ろしい」で、すっきりしましたか!(爆)
「ロード・オブ・ザ・饅頭」というのもありました。
あの裁判のシーン、切なかったですね。
最初は、傾城は光明を救うつもりで嘘をついていたのに…。
やはり、どちらも愛していたのでしょうね。
これは特定の故事ではなく監督の「寓話」なんだと思います。
海棠の花は、楊貴妃あたりの故事に由来するかもしれませんが。
ああ、「指さし棒」が欲しい…
投稿: きたきつね | 2006.03.05 16:06
監督の寓話と考えていいのですね。
海棠の故事も調べてみたいと思います。
さすが、きたきつねさん!
私も指差し棒、ビシッとやってみたいものです。
投稿: りんめい | 2006.03.05 21:59
原典については、私の憶測です。
パンフレットも読んでいないので…(ぽりぽり)。
海棠の花については、玄宗皇帝が楊貴妃をたとえたらしい、
というのを見たような気がします。
わかったら、教えてくださいませ。
投稿: きたきつね | 2006.03.05 22:49