香港映画あれこれ(「如果・愛」「香港の怪優番付」「少林サッカー」「マクダル・パイナップルパン王子」)」
1 「如果・愛」日本公開
もにかるさんのblogで、「如果・愛」が日本公開され、タイトルが「ウィンター・ソング」であることを知る。
んー、微妙…。せめて、「たぶん・愛」とか「もしかして・愛」とか、原作を尊重したものにならなかったのだろうか。個人的にはかなり好きな映画で、ピーター・チャンには香港金像奨の最佳導演をあげたかったので(理由はこちらに)、原作と離れた、ちょっと韓流を狙ったようなタイトルは残念。
2 「香港の怪優番付」
立ち読みした『CREA』の映画特集に「韓流映画と香港映画の怪優番付」なるものがあった。
香港部門は、
横綱:チャップマン・トー
大関:呉鎮宇
小結:林雪
前頭筆頭:元華
ふーん。
林雪も認知度があがったなあ、というか。呉鎮宇は怪優なのか?というか。秋生さんはもはや怪優ではないのか、とか、いろいろと考えてしまった番付ではあった。
3 久々の「少林サッカー」
実は、このごろ余裕がなくて、あまり映画を観ていなかったのだが、テレビで久々に「少林サッカー」を観た。カットされまくりだったが(「少林拳最高〜♪」の歌のシーンがカットされていて残念)、やっぱり好き。「みんなが帰ってくる」シーンは何度観ても泣けるなあ。その直前の黄一飛(「鉄の頭」)がめちゃめちゃ上手いんだよね。金像奨はあの表情で獲ったと思う。
ちなみに、「少林サッカー」は、「バスおじさん」が好きな映画らしい。
4 「マクダル」再見
「バスおじさん」のニュースを知って、なぜか、「マクダル・パイナップルパン王子」が思い出されてしかたなかった。たぶん、「プレッシャーの下、健気に生きる香港人」からの連想なのだと思う。「マクダル・パイナップルパン王子」は香港版DVDを買ってしまったのだが、何度観ても切ない。
監督によると、「マクダルの貧乏ゆすりは香港の現代の若者」なのだという。過去でもなく未来でもない現在で、プレッシャーに耐えて生きているということかなあ。マクダルの貧乏ゆすりは芸術になるのだけれど。
一番切ないのは、マクダルのママだ。マクビン(マクダルのパパ)が「パイナップルパン王子」であったのは泣きやまないマクダルのために作ったお話なので、実際には王子さまだったわけではなく、たぶん、過去の夢を捨てきれずに妻子を捨てて出奔した、まあいわゆる「だめんず」なんだよね。子供をかかえて働いて、将来のことを考えて金やトイレットペーパーを買いだめし、しまいには、お墓も買ってしまうママ。
1日に2本しかないフェリーとバスを乗り継いで人里離れた景色の綺麗なお墓の候補地に行き、方位や風水を考え、ついでにピクニックもし、死んだふりをしてマクダルに大泣きされたあと、夕映えの中柔らかい笑顔でチャチャチャを踊るママを見ると、その胸中はいかばかりかと、もう切なくて堪らなくなる。
人は、どんなに切なかろうが辛かろうが、生きていかなければならないのだけれど。
余談だが、パンフレットを再読して、監督がマクビンの声と最後の歌をレスリー・チャンに、と考えていたと知り、愕然とした。思わず頭の中で吹き替えてしまったのだが、切なさ倍増。実現していたら、ますます泣いてたな。
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コメント
きたきつねさん、
うっかりお礼が遅くなりました。TBありがとうございました。
上記すべて、全部同感です!
「ウィンター・ソング」って一般的には「韓流」?って誤解を生みそうでコワイですー。
投稿: もにかる | 2006.06.27 07:11
きゃー、もにかるさん!
わざわざ、ありがとうございます。
とっても嬉しいです。
「ウィンター・ソング」は、
内容は「冬の歌」じゃないのに…
よい映画だけに本当に残念です。
せめて、ヒットしてくれるといいのですが。
投稿: きたきつね | 2006.06.27 22:29