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「敬愛なるベートーヴェン」

 おお、髪があるエド・ハリスはこんななのか。

 「敬愛なるベートーヴェン」は、エド・ハリスのために観たのである。
 いきなり話がずれるが、「ライト・スタッフ」は封切りで観て3日ぐらい現実に戻れず、今も個人的オールタイムベストには必ず入れる映画で、主役であるところのチャック・イェーガーと「マーキュリー・セブン」を演じた俳優は、ずいぶん長いことある種の基準であった。エド・ハリスは、おそらくその出世頭である。スコット・グレンやフレッド・ウォードは最近どうしているんだろ。さらについでに書くと、エド・ハリスも出ている「アポロ13」もまた、ビル・パクストンとゲイリー・シニーズが出ている点で、俳優で観る映画(トム・ハンクスはわりとどうでもいいのだが)。
 さて、エド・ハリスが演じるのは聴力を失ったベートーヴェン、「交響曲第9番」初演4日前に写譜のためにやってきて彼を支える作曲科首席の学生アンナ・ホルツをダイアン・クルーガーが演じる。
 見所は、何と言っても「第9」の初演であろう。大きなスクリーンでよい音響で聴くのはよいもので、直前に合唱隊の不安げな表情が映されることもあってか、史上初めて交響曲に合唱が入るところは涙が出た。直前の転調はやはり偉いのだな。
 エド・ハリスは、よく見るとカラーコンタクトを入れていて(たしか眼は青かったはずだが、黒になってた)、野蛮で孤独で繊細な作曲家をよく演じていたと思う。ダイアン・クルーガーも美しい。「第9」を指揮する難聴のベートーヴェンをステージ上でサポートするシーンは官能的である(たぶん、狙っていると思う)。ちょっと出てくる修道院の白猫やアンナの恋人マルティンの犬(ちゃんと映してほしかったな)もよい味を出していた。
 しかし、映画の作りとしては不満が残る。冒頭はアンナがベートーヴェンのいまわの際に馬車で駆けつけるというシーンで、けっこうな距離を走ってくると言うことは、これはベートーヴェンのもとを離れたということだろうと思って見ていたのだが、最後が釈然としない。

 結局アンナはベートーヴェンのもとを離れたのか?
 それとも彼を支え続けたのか?
 ベートーヴェンはアンナによって心の平安を得たのか?
 それともまた一人になったのか?
 自信家で野心家であったアンナは自分がベートーヴェンのコピーであることに気づいて作曲をやめたのか?

 話の流れとしては、アンナが自分がコピーであることに気づき彼のもとを離れるというのがすっきりするのだが、最後を見ると、支え続けたという雰囲気でもある。アンナ・ホルツは架空の人物で歴史に名前が残るはずはないので作曲家として大成しないことは明らかなのだが、せめて、冒頭か最後かどちらかを変えないとストーリーとしてはまずいだろう。心象風景でお茶を濁すのは詰めが甘い。「Copying Beethoven」というタイトルを考えると、アンナが「自分が模倣している」ことに気づくことは不可欠だと思う。
 「敬愛なるベートーヴェン」という邦題もなあ。「敬愛する」か「親愛なる」が正しい日本語なので、品詞を変えることによって意味を変えようとするのは無理というものである。

 と、不満はあるのだが、エド・ハリスを見てベートーヴェンを聴くという点ではよい映画。「第9」初演をクライマックスに持ってきた方が話は収まりがよかったと思うけどね。音楽をもっと聴きたかったな。

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