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やっと電影:「姨媽的后現代生活(おばさんのポストモダン生活)」

やっと電影

 街市を抜けると、玉市で、さらに進むと油麻地の天后廟の側に出る。
 ずっと曇っていたのが、少し天気がよくなり、開け放った窓が気持ちよさそうだったので、ふらふらと「美都餐室」に入ってしまい、そこで映画計画を検討すべく新聞を読むと、すぐ近所の「電影中心」で「姨媽的后現代生活」がちょうどいい時間にあるのを発見。観たかったの。
 無事チケットを入手。電影節のパンフレットも(行けないけど)入手。嬉しい。
 上海に独りで住む葉おばさんのお話。甥っ子が遊びにやってきて偽装誘拐騒ぎを起こしたり、病気の子を持つお母さんを情にほだされて住み込みで雇うことにしたけれど一悶着あったり、などいろいろなことがあり、このおばさんは情に厚い人だけれど大丈夫かいな、と思っているところで、おばさんが剣舞をやっていた公園の京劇同好会(?おっちゃんたちが楽器を演奏して集っている)が縁で、パン(周潤發!)という男と知り合う。もう、この發仔が怪しくて、でも憎めなくて、しかもかっこよく、往年の「大丈夫日記」みたい。それでまた、いろいろあって、おばさんの過去が明らかになり、娘(趙薇)が登場し、最後はこう終わるか!と思った。
 たぶん、「后現代生活」はおばさんの上海での生活なのだと思う。そして人間は、幾つになっても何処でもどうやってでも生きていかなければならないのだなあ、という映画なのだと思う。身につまされる。
 実は、この開演前にマイクを持ったお姉さんが現れた。広東語は聞き取れないのだが、どよめきが起こる。英語のアナウンスで、このあと監督アン・ホイのティーチ・インがあることを知る。えええー。
 上映後拍手で迎えられた監督は、思ったよりも小柄な方で、ああこの人が「客途秋恨」や「女人四十」(とても好き)を撮ったのかとしみじみする。映画監督はとてもとてもエネルギーが必要な仕事だと思うのだ。悲しいことに広東語の質疑応答が全くわからず、「猫に小判」とはこういうことだよ、ああもったいない、ああ口惜しいと思いつつ、受け答えをなさっている監督をひたすら見させていただいたという感じ。エネルギーをいただいたというか。
 ありがたいことに英語の質問があって、そこだけ何とかわかったのだが、この映画は年をとることだけではなく、時間に追いついていくことの困難さを表しているらしい。春の雪はその象徴らしい。たぶん京劇も何かを表しているらしいのだが広東語の質問の「opera」しかわからなかったので何ともいえない。次は、香港の現代生活で天水ワイの映画のプロジェクトがあるとも。
 今日帰ってきて覗いてみたら、香港電影迷宮 blogさんにティーチ・インのことが書かれていた。こんな質疑だったのか!あの大きな月の場面(好き)の話もしていたのか!と感動する。茶通さん、ありがとうございます。
 ティーチ・インだからというのではないと思うのだが、上映後拍手が起こった。よい映画です。もしかしたら監督と一緒に観られたのかも、と思うととても嬉しい(追記:時間までお茶を飲んでらしたらしい。でも同じ時間と空間を共有できたので満足)。DVDが出たら買う。その前に札幌に来て欲しい。

20060311director

 ティーチ・インでのアン・ホイ監督。
 エンドタイトルが流れているところで登場したのだが、音声が消されたので、劇場の人に音声を入れるように合図したのが印象的だった。エンドタイトルは最後まで見て聞くものですよね、監督!

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