異国であるということ
札幌に帰還。
ずっとよいお天気だったのだが、
帰る間際になって土砂降り。
雨で窓の外がよく見えない。
一保堂にいる間も雨が降ったらしいのだが、いる間にあがったようで、結局雨には当たらずラッキーであった。
気温は連日33〜34度。慣れとは恐ろしいもので、30度だと「ちょっと過ごしやすいかも」と思う始末。
札幌に帰ってきたときの気温は14度!でびっくり。
以前から思っているのだが、北海道は「日本」ではないような気がする。文化を共有していないから。
そう思ったのは、冬に関東地方に出張して「枯野」を見たときで、「夢は枯野をかけめぐる」の枯野ってこれかい、と思った。考えてみれば、「日本昔話」もそうで、お話としては子供の時から知っているけれど実感できないものが多い。たとえば、「かぐや姫」だって、北海道には竹は生えていないので、おじいさんが裏山で竹を切るというのは想像の埒外である。
竹を見ると、珍しくて写真を撮る始末。
東京へ行くと商店街が珍しい。住宅地にある、狭い道の両脇にぎっしりお店がならんでいて、ご近所の皆さんが顔なじみでお話しながら買えるようなところ。ああいう商店街は、北海道にはあまりない。
まあ、たかだか150年前は原野だったところで、そこに開拓民が入ってきたので、いわゆる「内地(本州以南)」とは文化が違って当たり前なんだけどね。そんなわけで、とりわけ関西、特に京都や奈良へ行くと、地面を掘ると歴史が埋まっていそうだわ、人あたりが洗練されているわで目が覚めるような思いがするのであった。
これは一体何の神様だろうとか。
(神様を撮るのはどうかとも思ったのだが、屋根の生き物が妖しくキュートなので撮ってしまった)
錦市場とか。
錦市場は、もとは地元向けだったのだろうけれど、今は観光客向けでもあるような。清濁併せ飲んでいるところも京都なのかなあ(入江敦彦さんの本の読み過ぎかもしらん)。
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