ベートーベンを文庫本のように
今日は御用始め。といいつつ家で原稿仕事。お供は音楽。
いえね、昨年は、もっぱらバッハ先生とハイドン先生と時々モーツァルト君(没年のせいか呼称がちがう)だったのだが、昨年末に、移動中にiPodで「第9」を聴いたことがきっかけで、やにわに、ベートーベンだの交響曲だのに食指が動くようになってしまったのだった。
どんどん転調して変わっていく展開、全然先が読めませんよベートーベン先生、こう来ましたか、と思いつつ聴いていくと、最後にもののみごとにまとまるのね。なんだか、できのいい小説を読んでいるようで、巻置くことあたわず、京都駅のホームで最後まで聴いてしまった。まるで推理小説だ。
いままでは、「俺が俺が」感が苦手だったのだが、すんごく考えて作っているのがわかって、今では手のひらを返すがごとく、交響曲を聴きまくっている(またベートーベン先生のは全部あるんだな、これが)今日このごろ。いままであまり聴いていなかったチャイコフスキーやマーラーやブルックナーにも手を出す始末。長くないとつまんなかったり。
好みって不思議。
たどるのが面白いという意味で、智積院のお庭の別角度。
やはり心の旅をするような場所。
*先月の京都の記事に若干加筆しました。
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