ナンシー忌と香港
6月12日はナンシー関の命日であった。
2002年6月12日、ワールドカップで日本中が浮かれているさなかに虚血性心不全で亡くなったのである。ネットニュースで知ったときには、とてもショックだった。今でも、ああナンシーがいてくれたら!と思うことはしょっちゅうある。あの人もこの事件も書いて欲しかったよ。イタコでもいいから。
今年の命日に、『ナンシー関全ハンコ5147』という本が出たので、早速購入。紛失したり贈呈した以外の消しゴムハンコが全部載っている。病院のつきそい(命に別状はないのだが、家族が入院したのだった。なんとLANポートがあるのだが、仕事に集中もできないしねえ)ついでに読んでいたら、いろいろなことを思い出すんだなあ。特定の人物の似顔絵じゃない「人物」や「シリーズ」「風景」も味わい深い。「器械体操」などを見ると、ナンシーって絵が上手かったんだなあと思う。
渋谷パルコでやっている「ナンシー関大ハンコ展」も見にいきたかった(6月15日までなので行けず)。
で、タイトルの話だが、命日の日に、追悼で『ナンシー関大全』を読んでいたところ、「年表」に香港との関わりを発見したのだった。
1991年7月に2泊3日で「香港・マカオギャンブル旅行」に行ったらしい。「連載「コンビニ・ジュース」のネタ探しで手当たり次第にジュースを買いホテルで試すが全部玉砕」など「散々な目」に遭ったらしいのだが(237ページ)、別の項をみると中国茶に早くから興味を持ち、1997年頃には「香港・台湾に行く友人に茶や茶道具を発注」(240ページ)していたらしいので、もっと香港のすっとこどっこいな面を知ってほしかったものだよ、と思った。
この間、晴郎ちゃんがそっちへ行ったねえ。
本物のナンシー(一時跳梁していたパチもんじゃなく)のコラムがまた読みたいなあ。
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