秋分の日のお茶
今日は秋分の日。明日から冬至までは日がどんどん短くなる。今日の日没時間は17:30ごろだけど、あと2時間ぐらい短くなるんだよなあ。
今日はお休みで嬉しい。出張だったので昨日は代休にしたのだが、なんだかくたびれていて調子が悪い。いや、今は繁忙期ではないし、トルコから帰ってしばらくはふらふらしていたし、あちらこちら行っているし気分転換はしているのだけれども。要は心の持ちようなのだろうなあ。うーむ。休むときはきっぱり休み(時間の長さではなく「きっぱり度」の方が「休んだ感」には有効であると思う)、働くときには働くというのが理想なのだが、どうにも気力が持たない。
そのせいか今日は身体がお茶を欲していた。
愛子さんの「おとんの熟香梗」。
祥華のおとんの今春の鉄観音の茎。茎だけでも美味しいお茶は美味しいのである。おとんのような心映えがあれば、メラミン事件なんて起こらないのになあ。
さらに、口の開いていた台湾茶と岩茶(黄旦)を淹れる。夏は、愛子さんのところの碧羅春と龍井、ぽーれい生茶ばかり飲んでいたのだが、発酵強め・焙煎強めの青茶が飲みたいということは、秋なのだなあ。
茶壺は海風號の小漢瓦壺コンビ。
茶杯は同じく海風號のチーム民国(鶏と蝙蝠)。
トルコから帰ってわりとすぐにしたことが、茶壺を使ってお茶を淹れることだった。お茶を淹れることも心の余裕に繋がっているような気がする。余裕は物理的な時間の問題じゃないんだよなあ。
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