ナンシーに行ってきた
懸案だった「ナンシー関大ハンコ展」に行ってきた。
入り口付近。
日曜の夜に行ったのだが、それほど混んでもおらず、ほどほどに人がいた感じ。300円は安いなあ。
初めてナンシーの彫ったハンコの実物を目の当たりにしたのだが、いやーすごい。これは芸術である。直筆の絵は描いた人をトレースできそうな気がするのだが、カッターで一彫り一彫りした跡は、それ以上に、これを1つ1つ手で彫ったんだと思って心の底からしみじみする。
どこにも「撮影禁止」の掲示がなかったので、思わず撮ってしまったのだが(まずかった?)
一部屋目の様子。
会場は2つに分かれていて、テレビ関係のものを集めた手前のこの部屋には、1つにハンコが300近く入った箱が10個並んでいる。3000近くある勘定である。合計で5000個あまりあるはずなので、隣の部屋にも2000個。どれも思ったより小さくて(消しゴムだし)、上の拡大サンプルを見てから、おもむろに箱の中を左端から見始め、好きなのを探す、という見方に落ち着いた。裏文字はすぐに読めるようになったのだけれど、なにせ数が多いので時間がかかるかかる。
「ライオンは悪くないんですね」とか「すまん玉緒」とか(これは「もう慣れっこですやさかい」と並べるべきだったと思う)、井出隊員シリーズとか、内藤陳シリーズとか、タモリとか、馬場とか、見慣れたのがいろいろあって嬉しい。ただ、「名優」のくくりに蟇目良の「おやすみなさいマダーム」があるのは無理があるだろう、とか、会場のビデオで「ナンシー関に感謝」とかで馴染みの文化人がコメントするのは違うんじゃないかとか(流すなら、ナンシーが出たNHKの番組とか…)、ちょっと疑問点もあり。
会場の出版一覧で確かめたところ、ほとんど持っていることが判明し『ナンシー関全ハンコ』もあるので大抵のものは印刷で見ているはずなのだが、なにせ数が多いので、思い出せないのもある。顔の造作は線を浮き彫りにしているので分かりにくいのもあるしね(すごいよ)。
見ながら、「知ってると思うけど、筑紫哲也がそっちへ行ったねえ」とか「小室が逮捕されたよ」とか「総理大臣はもう3人も変わったぜ」とか、心の中でいろいろ話していた。しかも、今の総理は後先考えず面倒な仕事は自治体に丸投げで2兆円をばらまく気なんだぜ。頭悪すぎ。
最後に、愛用品が並べてあったのだが、ビデオやテープのラベルに書かれた手書きの文字を見たときに、しみじみと悲しくなった。こんなに早く行っちゃうなんて思ってなかったろうなあ。今でも、何かことが起こるたびに「ああ、ナンシーだったらどう書くだろう」と思ってしまう。本当に、本当に惜しまれることだと、今でも心から思う。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ナンシー関さんは、ほぼ同い年で、彼女がなくなったときは高校時代くらいからの友人が亡くなったみたいな感じがしました。実際、私の場合、高校時代の友が早くに亡くなっていて、それはなんだか、とってもおいてけぼりな感じなのです。
自分と共に、ずっと歩んでいくんだ、というのはおこがましいけど、何かを同時に経験しているんだ、と思ってたのに断絶させられた感じ。
それだからか、意外にも、「ナンシーだったらなんていうかなあ」とは思ったことがないのです。
しかしあえてコメントしてほしいものを思いつきました。糸井重里の「ほぼ日」について。
ところで別件ですが、中区警察のエントリに、きたきつねさんのところをリンクさせてもらいました。
トラックバックのやり方がいまでにわからないためお知らせまで・・。
香港、たのしみですね!
投稿: ゆずきり | 2008.11.16 21:11
リンク、ありがとうございました。
中区警察、行けてよかったですね!
ナンシーは、「週刊文春」「週刊朝日」のコラムをずっと読んでいたこともあって(立ち読みですが)、コメントを考えてしまうのだと思います。
「ほぼ日」…糸井重里は、なんというかタフですよねえ。
投稿: きたきつね | 2008.11.17 21:33