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「悲情城市」をスクリーンで

 これはほぼ1ヶ月前に書きはじめた記事のつづき。

 「悲情城市」をスクリーンで見ることができた。地元の映画館が「シネマと鉄道〜アジア映画に見る駅の風景〜」という企画で旧作を上映したのである。「午前十時の映画祭」などもそうだけど、旧作をスクリーンで見られるという企画、どんどんやってほしい。シネマフロンティアさんGJでした。DVDじゃだめなのよう。

 予告編があった。

 今さらご紹介するまでもない名作だけど、1945年の第二次大戦終結から1949年の国民党政府樹立までの台湾の話。中心になるのは林家。玉音放送の流れる中、長男の妾が出産するところから始まる。二男は南洋から帰ってこず、三男は上海から戻ってきたものの悪い仲間(成家班の太保がいる)につけこまれ、四男の文清は8歳の時に耳が聞こえなくなり口もきけないながら写真館を営んでいる。51年に渡る日本の支配も終わったのも束の間、中国政府がやってきて不満が高まる。そして、本省人と外省人の衝突「二.二八事件」が起こる。
 いろいろな意味で胸が詰まる。お話も、人も景色も。
 まず、やっぱり「これは過ぎた日の物語ではないのだ」と思う。体制に逆らうことによって家族が帰ってこないというのは、今でも世界で起こっていることなのだ。
 この映画が作られた1989年は戒厳令が解除になって2年後ということなので、作るのは勇気が要ったろうなあ。
 戦争が終わったあとの台湾の情景にも胸がつまる。日本語が当たり前に通じてしまうんだもんなあ。「にいさん」「とうさん」などの日本語の単語が台湾語に混じっているし。台湾人は台湾語で話しているし他にもいろいろな言葉が混じっている。大陸やくざと話すときには台湾語→広東語→北京語という通訳が必要だった。
 お話は、台湾の風景の中で日々の暮らしが淡々と描かれていくのだが、おうちが日本様式と折衷なのね。今でも台湾に行くとあちらこちらに残っているけれど、色ガラスのはまった窓とか、インテリアや調度がいいなあと思ってしまう。
 あと、お茶映画でもあって、林家の長男は朝起きるやお湯をわかし、茶壺をきゅきゅきゅと磨いてお茶を淹れる。さすが台湾である。
 しかし、何より、トニーさんこと梁朝偉!出てきた瞬間、「若い!かわいい!」とくぎ付け。笑顔がぴかぴか。侯孝賢監督がどうしても出てほしくて、台湾語ができないので聾唖の役になったという話を聞いたことがあるのだが、台詞がなくてかえって大正解。よけいに気持ちが伝わってくる。うまいなあ。

 実は、「二二八事件」のことは、グレゴリ青山の『グ印亜細亜商会』で知った。
 「二二八事件」は、この中の「電信柱の画家の街」で、陳澄波という画家の絵に魅せられたグレゴリさんが嘉義に行く話(「台湾人」というかき氷屋さんに行ってからが圧巻。神様はいると思える)に出てくる。陳澄波は日本に留学して絵を学んだのだが、二二八事件で殺害された。
 「二二八事件」は、第二次大戦後に台湾に入ってきた中国本土からの外省人が元々台湾にいる本省人を支配下におく過程で起こった。きっかけは台北の迪化街で闇煙草を商う本省人への暴行で本省人の外省人に対する抗議が台湾全土に拡がり大陸から軍隊が投入され特に日本統治下で教育を受けた知識層を中心に数万人(正確な数は不明)が殺された。1988年に本省人が初めて総統となり事件について公に語ることができるようになった(こちらを参考にしました)。
 すなわち、「悲情城市」は情報解禁になってほとんどすぐに作られたということになる。 

 3月11日の震災のあと、台湾では「相信希望」というチャリティー番組が民放を横断して作られ、人口も所得水準も違うのにもかかわらず、約21億円もの義援金が集まった(詳しくはこちらに)。この映画を見ると、そんな台湾の人たちの気持ちや背負っているものが少しではあるがわかるような気がする。
 お礼を兼ねて台湾に、特に今度こそ九份に行きたい。

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