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「カーネーション」は尾野真千子を見るためにあったのか

 気がついたら、2週間ぐらい更新してなかった。特に繁忙期ではないはずなのだが、これで繁忙期になったらどうなるのかは考えたくない程度に仕事はある。
 この半年間、心の支えは「カーネーション」であった。
 どのぐらい支えであったかというと、平日は早く出て職場のテレビで総合を見、できれば昼も見、夕方も見られたら見、土日は朝早く起きて7時半のBSと8時の総合を見、まとめ放送はきっちり録画しブルーレイに落とす程度。
 放送が最初から見られなかったので、DVDを予約してしまいました。ははは。再放送してくれてもいいんだけどさ。ついでに書くと「芋たこなんきん」も再放送して欲しいなあ(完全版DVDは出ていないのだ)。
 見始めたのは2週目からで、

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 ミシンに一目惚れしたり、お父ちゃんを説得したり、晴れてパッチ屋に入ったものの落ち込んだり、しかし放送1回で浮上して仕事に励む糸子ちゃんにくぎ付けであった。何度見ても好きなのはデパートの制服のくだりで、特に見本を着ていく回がお父ちゃん込みで何度見ても泣ける(あの週は特に仕事がしんどかったし)。
 前半は小林薫演じるお父ちゃんこと小原善作目当てで見ていたところもあったので、善ちゃん亡き後はどうなるかと思ったのだが、脚本がすごかったのは、視聴者との思い出の共有がきっちりできていたことで、娘3人が大きくなってからの糸子が善ちゃんに似ていること似ていること、善ちゃんがクリスマスケーキを卓上に叩きつけたという故事があったので、ケーキが卓上に出てくると思わず緊迫してしまうほどであった。
 で、先週。
 ついに糸子が72歳になり主役が交代してしまったため、ハードディスクの掃除がてら(ブルーレイに落としてあるので消しても大丈夫)、録画してあった昔のを見ているのだが。まるで未来の記憶を反芻しているようであるのだが。
 あらためて見ると話の密度が記憶以上に濃い。
 たとえば、夫であったところの勝さんが初登場する第33回は、帰って来たウルトラマンことロイヤル店主の初登場回であったのは当然として、サエの初登場回でもあり、ということは勘助がカンカンホールで糸子にやりこめられて、芋けんぴを食べていた強面の支配人にスカウトされる回でもあり、しかも、カフェ太鼓の初登場回であった。昭和8年開店かよ、太鼓。少なくとも昭和48年まではあったんだよな。行ってみたかったなあ。好きなんだよ、古い喫茶店。
 あのあたりを見ていると、勝さんは最初っから糸子ちゃんが好きだったんだということがよくわかる。そのわりに思い出してもらえることが少なくて気の毒だな。
 三島ゆり子にお手玉を投げつけるとか、ミシン危機一髪とか、善ちゃんがR2-D2で糸子がC3POとか、戦中の思い出も尽きないが。

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 戦後編の登場人物もよかったよなあ。
 近藤正臣は今後「組合長」と呼んでしまいそうだし、大番頭であった昌ちゃん(あ、写真に入っていない!)はもちろんのこと、昌ちゃんとお似合いだと思ったら実は乙女だった恵ちゃん(クリームソーダ好き。最後の乙女走りは最高だったわ)もよかった。北村はこれからも北村だ。三姉妹(特にモデルに瓜二つの直子)もよく描けていたと思う。
 今週になって、みんな写真になってしまったのは、いっそ潔いと言ってもいいのだろうけれども、夏木マリもやりにくかろうとは思うのだけれども、つい尾野真千子に脳内変換してしまうのだけれども、とりあえず、今やっているのは「続・カーネーション」であるということに個人的にはしてしまったので、残る3週間は心おだやかに見守りたいと思う。
 善ちゃんが飲み会に混じっていたので、個人的に最終回になってしまったんだよねえ。

【追記】
 みんな尾野真千子の糸子が好きだったんだなあ。絵としては、恵ちゃんと北村のがよいと思う。
 
   漫画家さん達のカーネーションまつり

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コメント

まったく同感であります。
1話からほとんど欠かさず観ていたのに
この1週間だけで2度も見逃してしまいました。
どうしても状況説明的1週間になるのはしかたないとは思いつつ、
どうしても感情移入ができなくなってしまいました。。。^^;

投稿: mamako | 2012.03.10 23:54

お返事が遅くなりました。
やっぱり感情移入できませんよね。
登場人物が三姉妹を除き総入れ替えだし、表情とかものの言い方とかがまるで違うところへ持ってきて、微妙に尾野真千子を模倣しているところもあって、よけいに「これは糸子ではない」と思ってしまうのでした。
夏木マリには気の毒だとはおもうのですが。

投稿: きたきつね | 2012.03.12 21:43

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