「Jab Tak Hai Jaan(命ある限り)」(2012)
札幌公開が明日までなので、急いでアップ。
札幌における「ボリウッド4」第3弾。
初日に行きました。初日しか行ける日がなかったのだが、行けてよかった。「Don 2(闇の帝王DON ベルリン強奪作戦」よりは少し少なめだったけど、お客様の入りもまずまず。
しかし、感想を書くのには手間取った。
予告編。
ラダックの湖で溺れ助けられたアキラは、助けてくれた男が忘れていったノートを読んでしまう。陸軍爆弾処理班きっての命知らずサマル(シャールク・カーン)は防護服を着ずに誰よりも多くの爆弾を処理してきている。彼は25才のときにはロンドンにいた。いろいろなアルバイトをしていたサマルは教会の雪かきをしていたときにミラ(カトリーナ・カイフ)と出会い、その後もアルバイト先の魚市場やスカウトされたレストランで見かけるようになる。明るく前向きなサマルはミラと恋に落ちるのだがミラには既に婚約者が。サマルは交通事故に遭ってしまい、そして…というお話。終盤はいつ爆発が起こるか手に汗握った。
「ボリウッド4」でのキャッチフレーズは「「大スケール過ぎるボリウッド版冬のソナタ」で、その他得ていた情報は「突っ込みどころが多い」ということ。
「冬のソナタ」というのは交通事故からの連想なのだろうなあ。記憶喪失は出てくるけど、冬ソナといえば連想してしまう、そっくりさんと思ったら本人だったとか兄妹疑惑とかは出てこない。
しかし、やはり、突っ込んでしまう。
水が冷たいって、その岩までどうやって行ったアキラとか。アヌパム・ケールが50才は無理があるとか(本当は1955年生まれの当時57才)。ミラ、それキリスト教徒と違う、キリスト教は犠牲と引き替えにお願い事をかなえてくれる宗教じゃないってとか(だいたい、それが物事をやっかいにした原因の一つだろう)。カーン先生、「深刻な傷を心に負うおそれ」と言いつつ、さっくり十年宣告しちゃうし、嘘のシナリオ作ったら部分的に記憶が残っていた場合に認知的不協和を起こして深刻な事態になりうることは容易に予想できるんじゃありませんかとか。黒澤明ってインドでも有名なんだなあとか。アキラあんた事態に責任取れるわけとか。
実は、感想が書きにくいのは、そのアキラにどうにもこうにも感情移入できなかったからなのであった。世間的には明るく可愛くて前向きでいい娘さんという評価になるのだろうか。男性陣もちょろいもんだったし。
しかし、爆弾処理をしている横でカメラがぶつかりそうになっていて、しかも集中を要する作業中に話しかけ続けて話題がそれかよ!と思ってしまい、血管が切れそうになったのである。橋の上には兵隊さんがたくさんいるんだぞ。
心が狭くて申し訳ないのだが、想像力のない輩、他人の大切な領域に土足で踏み込む輩、公私混同する輩、人の事情を利用する輩、責任能力もないのに大人の事情に首を突っ込むお子様はとても苦手。なんでも一番の挫折知らずなんだろうけど、自分のしでかしたことが原因で誰かが不幸になったら良心の呵責で苦しむことができるんだろうか。一歩間違えれば、サマルやミラが取り返しのつかないことになる可能性も大いにあったわけで、そのことに対する想像力や責任をとる気持ちはあったんだろうか。想像力はジャーナリストには不可欠だろうに。
一方でシャールクの仕事についての描き方はよかったと思う。長いこと自分を捧げてきた仕事はどんなことになっても自分の中に残っていて、最後には自分を助けてくれるのだなあ。
いやしかし、事前に聞いてはいたのだが、インド映画なのに「寸止めていない」シーンが複数あって驚きました。シャールクだからいいのか?インド映画でそういうシーンを映すようになるとはなあ。昔は水着の女性が映るだけで場内の男どもが大興奮だったらしいけど。
歌うのはラブソングの鉄板シェリヤ・ゴーシャル。
音楽はさすがのA.E.Rahmanで、とってもよかった。
踊りのシーンはあまりなかったのだが、クラブに行くシーンでカトリーナうまいんだから踊ればいいのに…と思ったら、ちゃんと踊ったし。シャールクも踊ったし。周囲の客の幸せ者!(いやエキストラだけど)と思う。
この映画はヤシュ・チョープラー監督の遺作で、冒頭に追悼の言葉が出、エンドロールは大フィーチャリング・ヤシュ・チョープラー監督。映画の内容と関係なく、このエンドロールで泣いた。監督作の「Dil To Pagal Hai」は大好きな映画の1本である。心からご冥福を祈る。
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