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『セデック・バレ』を札幌で観る

 以前、台湾へ行く機中で見たのだが(感想はこちらに)、一般公開され、ついに札幌にやってきた。第一部「太陽旗」第二部「虹の橋」合計276分の台湾公開版。シアターキノさん、いつもありがとうございます。
 日本版予告編。

 ストーリーは前に書いたので詳しくは書かないのだが。いろいろと辛い話である。結末わかってるし。史実だし。似たようなことは今も世界中で起こっていると思うし。
 日本語字幕(ありがたい!)とスクリーンで見直して、わかったことがいろいろ。たとえば、日本人がセデック族を娶ることはあっても、逆はないとか。一郎と二郎の奥さん(二郎の妻がビビアン・スーだったのか)は着物着ていてわからなかった。結局、日本人が優位ということなんだよね。
 セデックとアイヌが似ていると思ったのは、入れ墨の習慣や音楽が似ているからだったんだと思う。自分たちを「人」と自称しているところも。
 セデックの「出草(首狩り)」の風習は、もともと「原住民」のみが住むテリトリー内の狩り場を守るというところから始まっていて、まあ一応社会的にはそれなりに安定していたのだろう。清が支配していたころはわりと放りっぱなし(商人などの民間人は入り込んできて何とかやっている)だったのが、日本に支配権が移って奥地の鉱山開発をやろうすると放っておくわけにもいかず「文明化」するという方向になったんだろうなあ。現地の文化を蔑視する傾向があって「いいこと」をしてやっているという意識もあったろうし。まあ、こちらに書いたのだが、「首狩りの歌」のタイトルが「1 私は槍で二人を殺した」「2 私はひとりの女を番刀で切った」「3 若い時に五つの首を持って帰った」「4 私が人を刺したら棒が折れた」「5 後ろから刺された者は男ではない」「6 男は必ず人間を殺さないと恥ずかしい」だったりするからなあ。異文化接触は難しいわ。
 しかし、少なくとも、蔑視とか自分が優位に立とうとする姿勢は長い目で見ると碌なことにはならないと思う。マヘボ社の駐在にもっとましな人材が着任していたら事態は変わっていたんだろうか。しかし、内地でうだつが上がらなかった人物が外地で一旗揚げるために出て行くこともありそうだから人材登用はけっこう難しいかもしれない。
 見ながら思っていたのは、自分があそこにいたらどうしていただろうかということだった。セデックの女性だったら機を織っているしかなさそうだし、セデックの男なら狩りをするしかなさそうだ。でも頭目だったら蜂起には加わらない。もし蜂起に加わらざるを得なかったら、もう少し戦略を練るかもしれない。でも自決はしない。日本人の女性だったら夫についていって何かあったら逃げるしかないのか。仕事をするとしたら教師をやっているか。官吏ならセデック族とは融和的な姿勢で行く。吉村のようなのは長期的に見ると損失にしかならないから上の方にいたら厳しく処遇する…ようにしたいと思うけど。命令がくだされる立場だったらわからない。
 立場と状況次第でどうなるかわからないもんなあ。小島は、何事もなければ現地人と調和をはかる「いい人」だったと思うんだよね。でも、子供の態度を見ていると無意識のうちに裏表がある人かもという気はする。自分はいい人だと思いたいタイプというか。一郎と二郎は辛かったろうなあ。優秀で将来のこともいろいろ考えて「日本人」として生きることを選んだんだろうになあ。筆で壁に書いていた言葉が日本語なんだよね。日本語で教育を受けているから、ああいうときは日本語にならざるを得ないんだろうなあ。
 パンフレットのインタビューで、監督は「どちらが善でどちらが悪かわからなくなった」「拍手喝采も涙を流すこともできない」と語っていて、それは本当にその通りだと思う。最後の方のトンパラ社と殺し合うところ(グループの敵対関係を利用したのは日本側の勝因だと思うけど、しかしあれはひどい)では、風習かもしれないけど殺し合うのは無駄だろう!という気持ちになったけど泣けず。でも、最後の歌(第一部のも第二部のもサントラに入っている)では泣けるのだった。歌詞がねえ、あれは死なないで生きていけという歌だよねえ。
 あらためて見てわからなかったこともあって、たとえば、モーナ・ルダオたちは最後の橋の場面でどうやって助かったんだろう?とか。あれは正面から狙われたら駄目だろうと思うのだが。あと、鎌田将軍のセデック族に対する評価は、どこでどのようにひっくり返ったのだろうとか。
 あと思ったことは、佐藤浩市や時任三郎がセデック族に混じっていても違和感ないだろうなあとか。それにしても、モーナ・ルダオかっこいいわあ、とか。銃を山のように背負って山を走るあたり、とてもじゃないけど本職が牧師さんとは思えない。
 モーナ・ルダオの歌う歌など歌の部分がサントラに少なくて残念である。
 しかし、テレビなどで歌っているようで動画がけっこうある。お父さん役の人とオフステージで歌う動画は前にご紹介したのだが、

 なんとかっこいい牧師さんなんだ。撮影で20キロ痩せたらしい。それにしても、この番組、効果音の入れ方と司会のテンションが謎。
 こちらは、金馬奨授賞式で出演者が歌った「看見彩虹」。

 司会はエリックとっつぁんで冒頭はセデック族の衣装だったのね。
 金馬奨、助演男優賞を一郎の人が獲っている(おめでとう!)のだが、「武侠」でノミネートのジミーさんにびびる。

【追記】
 2時間半におよぶメイキング動画があった。→こちらから。

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