『リアリティのダンス』
ごぶさたしてしまいました。
先週末は遊びに行ってしまったのだが、その後いろいろ。大変である。
というわけで、最終日に観に行った。公式サイトはこちら。
実は、ホドロフスキー監督についてはまったく知らなかった。『エル・トポ』『サンタ・サングレ』の名前を聞いたことはあったけど。
観に行ったのは予告編を見たから。
超現実的な自伝映画。すべて何かの夢のよう。
後で知ったのだが、あのウクライナのお店は、本当に生家があったところに建て直したとのこと。床屋さんも実在で、あの店主は日本人だったのか。南米には行ったことがないのだが、チリのトコピージャはあんなところなんだなあ。現実と超現実が入り交じって再構築されたにしても。
主人公の少年は監督自身。ときどき、現在の監督も出てくる。未来の自分も過去の自分も自分の中にあって、探し物も自分の中にある。死の影は常につきまとっているけれども、たぶんこの世は、生きている間にそれぞれの心の中で構築された束の間の夢のようなものなのだと思う。一方で、世界は自分の思いとは離れたところでいろいろな関わりがあって回っていくので(「縁起」だわね)、どんなことがあっても、生き続けることそのものに意味があるのだ。
なんだかとても禅のようだと思ったら(般若心経も出てきたし)、監督はメキシコで日本人の禅僧に師事していたとのこと。やっぱり。
おそらく、この監督は、タブーとか「いけないこと」というのがないのだろうと思った。両手がない人とか、へー男の人ってそういうふうにするんですかとか、虚心坦懐にじっくり見てしまう。別にぼかしはいらないんじゃないかなあ。ところどころなかったし別にそれで何ともないし。邪心がないんだもの。
予告を見て少年の成長物語かと思ったら、さにあらず、お父さんの再生の物語であった。お母さんのただものでなさが半端じゃない。監督のご両親がモデルらしいのだが。実際に演じているのが監督の長男で、ついでに書くと、行者とアナキスト(音楽も担当)も息子さんで、奥さんが美術をやっていて家族総出である。監督のお家にはきっと動物もたくさんいるような気がする。
帰って来てから、ずっと思い出している。
うまく言葉にならないのだが、これを見ると、映画、特にインド映画を見たくなる。なぜかと思うに、いわゆる自分の「常識」と離れたところで、根底に流れる(たぶん「神」とか「世界」に関わる)ある種の思想の上で、とにもかくにも人々が生きていくということが描かれているのが共通しているからだと思う。
『ホドロフスキーのDUNE』を観に行く余裕がなくて、かえすがえすも残念であった。せめて予告を貼っておこう。
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