『The Lunchbox(めぐり逢わせのお弁当)』何度目か
ご無沙汰しております。毎日なにかと大変です。
あと1週間で終わってしまいそうなので、うちのイルファン・カーンとおデートするために映画館に走って行った。
この映画については、DVDで観たとき、香港で観たとき、日本公開が決定したとき、「あさイチ」で紹介されたとき、ついに札幌で公開されたとき、と散々書いてきたのだが、DVDもかなりの頻度で見ているのだが。
スクリーンで!
日本語字幕で!
札幌で!
うちのイルファン主演のインド映画が観られるとはなんと幸せなことであろうか。しかも観れば観るほど好きになるいい映画だ。
冒頭のムンバイの景色とダッバーワーラーのおっちゃん達とインドの普通の生活をしみじみと眺め、イルファンが出てきたところで、空いているのをいいことに力いっぱい手を振り、特に前半は思いっきりにこにこしながら見てしまう。
たとえば、
すでに二度目のお弁当で密かにわくわくしているイルファン
仕事の机でお弁当の匂いを嗅いで隣のおっちゃんに訝しがられるイルファン
手紙を読んで天井のファンを見上げてしまうイルファン
禁煙しようとして、ばたばたするイルファン
お弁当を食べようとしているところにナワーズが来て、あちゃー!という顔になってしまうイルファン、
ナワーズがいて手紙が読めなかったので仕事の書類を読むふりをして手紙を読むイルファン(中学生か!)
隣のおっちゃんが盛大に訝しがっているのも構わず、デスクで空のお弁当箱を広げるイルファン
鳴りわたっていた「サージャン」の音楽が、食堂の向かいの席にナワーズが座ったとたんに切れるところ(ということはあの曲はイルファンの心の中で鳴っていたのだな)
などなど、萌え死にしそうである。
そして、「間違った電車に乗っても…」が最初に出てくる電車の中でなぜか涙が出る。
茄子が大好きで、茄子の料理(とても美味そう)を見て最初はとても嬉しそうだったのに、イラの手紙を読んで残してしまう(たぶん残してしまうのはこれ1回だと思う)!ところと、一言だけ書かれた手紙。
朝までビデオを見てしまうところと隣の女の子に手を振るところは毎回泣いてしまう。
なぜ泣いてしまうかというと、35年間ひとつのミスも犯さず働いてきて、でも周りからはいろいろと言われていて、奥さんも世を去り本当に孤独で、その心の底にあったものがイラやシェイクと関わっていくことで浮かび上がり、孤独じゃなくなっていったことがよく見えるからだと思う。
アメリカ版予告編。好きだわあ、これ。
この予告編にも入っているレストランのシーン、固唾を飲むかはらはらしている観客が多いとは思うのだが、「いいじゃないの、イルファンなら!」「いいじゃないの!素敵なんだから!」と心の中で叫びっぱなしである。
あと、電車の中で風に吹かれているところは見とれてしまう。
イルファンもナワーズも実はとっても強面なのにこんな役なのが本当によいと思う。惚れ惚れ。
たぶん、ナワーズは陰でいい働きをしていると思うんだよね。連絡先も知っているし写真も持っているし。
考えてみると、この映画は直接的なセリフや描写があまりない。そのことも映画に奥行きを与えていると思う。
母子心中のニュースを聞いて「金の装身具は外したのだろうか」とイラが思うシーンは想像なのだが、最後のイラのショットでは装身具が一切ない。
ほんとに、みんな幸せになっていてほしいと思う。
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