羽仁未央さんの『香港は路の上』(1988)
著者の羽仁未央さんが11月18日に肝不全で亡くなったことをツイッターで教えていただいた。享年50歳とのこと。最近お名前を見ていないので、何度か消息を検索していたところだった。関連記事はこれがいいと思う。
この本は、数ある香港本の中でも最も好きな1冊である。 ほんとうに、今まで何度読んだかわからない(昨日も開いたばかり)。
表紙。
アマゾンでは10倍近くの値段がついていてびっくり。
この本が好きなのは、ありがちな香港案内ではなく「香港への愛」に満ちているから。第2章のタイトルが「街に恋して」である。『ドラゴン特攻隊』と『悪漢探偵』で下地ができて、香港に行く前に写真を見て「雲の多い香港にはよくあることだけど、手前が曇っててむこうが晴れていた(中略)それを見たとき、わたしはああこれが香港晴れってもんだわ、こういう天気のところに住もう、と、なんとなく考えた(23ページ)」とのこと。香港に行ってそんな景色を見るたびに必ずこの文章を思い出して「ああ、香港晴れだ」と今でも思う。
それはきっとこんな景色。
発行は1988年。返還の9年前。
表紙にもなっているこの写真がとても好き。おっちゃんたちの顔が。
後ろに看板が映っているのでわかるのだが、ここは銅鑼湾の北側にある清風街である。別の章に銅鑼湾の「トラムの車庫の脇」の羅素街の屋台で腸粉(『英雄本色』で周潤發が食べているアレ)を売っている親娘の話があるのだが、「銅鑼湾のトラムの車庫」はすなわち現在の時代廣場で、この本で描かれているのは、返還前の大規模な再開発がされる前の懐かしい懐かしい香港なのだった。
ダイヤモンド・ヒルにはまだスラム街があったし(そこを蓮實重彦ご夫妻が歩くというエピソードがある)、バスターミナルには茶水のおっちゃんがいて、彩虹にはジャングルみたいな木立があって、九龍城砦もまだあって、空港はまだ啓徳で、中環のスターフェリーのターミナルは昔のあの姿のまま。
写真と文章で描き出される香港は何もかもが懐かしく慕わしい。
本が出てから26年後の今、香港は大変なことになっていて、でも、まだ、香港の人々は希望をもって元気に生きている。最近の活動はとてもアーティスティックで、香港はアートな街なのであった。羽仁さんや私たちの愛している香港は芯は変わっていないし、これからも変わらないと心から信じている。
羽仁未央さん、香港のことをいろいろ教えてくださってありがとうございました。香港の映画で「猫師」などもやっていらっしゃいましたよね。
そちらでも香港を楽しんでいてください。心からご冥福をお祈りします。
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コメント
羽仁未央さんの訃報はショックでした。私もこの本大好きです。香港に興味持つようになったのは、未央さんのエッセイがきっかけで、何かの雑誌に連載されていた小さなコラムを楽しみにしていて、「いつか香港に行ってみたい」と思ったのでした。
リンク先のインタビューがとても興味深く、「香港は、映画よろしく、すべてのルール違反が起こるところ」という一文がとても心に残りました。
返還から時が経って、いろいろなものが無くなったり、変わったりしているけど、ルール違反が起こるエネルギーのある場所であるという点はちっとも変わってない気がしますよね!
投稿: 春巻 | 2014.11.23 00:29
お返事が遅くなりました。
春巻さんもショックでしたか。
最近、身近で知人が亡くなることが続いて「人って死ぬんだなあ」と思っていたところでもあり、本当に衝撃でした。
リンク先は検索でたまたま見つけたのですが、いいインタビューだと思います。ツイッターでも書いたのですが「日本の若者は好奇心が疲弊している。人生はもっと単純で面白いのに(要約)」という文も心に残りました。
香港も日本もいろいろ大変な昨今ですが、今後もあのエネルギーが続いて、香港も日本も元気であり続けてほしいなあと思います。
投稿: きたきつね | 2014.12.03 11:54