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2014年12月

今年もお世話になりました:雨傘香港

 いろいろなことがあって、11月から体調を崩したりいるうちに、あっというまに12月31日になってしまい、全然年がかわるという実感がない。
 実は、昨日まで香港に行っていた。
 ツイッターには書いたのだが、香港の神様、雨傘革命の神様がいるとしか思えなかった。

 初日は飛行機が遅れて、真夜中の旺角をバスが何事もなく通過したことに目頭が熱くなり、前の記事に書いたように、2日目は『無涯』に現在の香港が重ね合わされて号泣し、

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 3日目は金鐘に占拠の痕跡を探しに行き、一人デモのおっちゃんとお話しし(詳しくはこちらの記事に書きました)、

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 その夜には活動に参加した学生さんの作品展「雨傘日記」を見に行って、当時のことを根掘り葉掘り聞かせてもらったうえ「日本にも応援してくれている人はたくさんいるんだから!」と力説してしまい、

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 翌朝には獅子山に「我要真普選」の巨大垂れ幕が再び掲げられたのを目撃し、

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 『毎一把傘』という雨傘革命についての本が出ていることを「雨傘日記」で教えてもらってツイートしたら、たちどころに情報をいただき、誠品書店でばっちりゲットできたうえに本を大量買いしてしまい、

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 午後はこれも教えていただいた「光明磊落博物館」という展示に出かけ、夜は、りえさん、くま某さん、ズッキーニさんと雨傘革命「耕作員」反省会に混ぜていただき。

 詳しいことは追って書いていくつもりだけど、必需品買い出し以外は、これでもかこれでもかといわんばかりに雨傘革命と関わりのあることがやってきた4日間でありました。占領活動中は香港に行きたくても行けず、その場にいたかったとは思ったけれど、これほどとは。
 香港の神様、雨傘革命の神様は絶対いると思った。
 そして、必ず香港の未来を守ってくれると思った。
 いろいろな方とお話しして思ったのは、うまく言えないんだけど、希望を持ち続けることの大切さとか、自分の得や欲のためにでなく活動することの大切さとか、人とコミュニケートすることの大切さとか、与えることは結局は功徳というか与える側のためになることなのだとか、人の品格というのは思いやりと頭を使うことに裏打ちされているのだなとか、そんなこと。

 りんご新聞による「1年を振りかえる」。

 香港で起こっていることは、けっして香港だけの問題ではなく、我々に無関係ではなく、どこにでも起こりえることで、自分たちのためにも、いろいろ考えること、しなければならないことがあると思う。
 新しい年が、香港にとっても、日本にとっても、みなさまにとってもよい年でありますように。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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日本公開熱烈希望『無涯: 杜琪峯的電影世界』

 実は、ただいま香港に来ております。
 11月からずっと体調が思わしくなく、仕事を休んだり減らしたりしていたのだが、主治医からお許しをもらい来たのであった。
 1本目に観た映画がこれ。間に合ってよかった。とても観たかったの。
 電影中心で鑑賞。なんと終了後に監督のティーチインがあった。
 ツイッターでがーっと流したのだが、ブログにも書くことにする。
 なぜなら、今回は訳あってパソコンを持ってきたから。

 予告編。

 冒頭のクレジットをみると、香港演芸学院の学位制作作品らしい。
 監督は若いイケメン。ティーチインには2人来ていて、お一人が広東語、お一人が普通語で、広東語は全くわからず、普通語もそれほどわからず、猫に小判とはこのことであった。

 タイトルの英訳は「Boundless」。インタビューと作品を通じてトー先生の映画が語られていくという作り。
 インタビューされていたのは、トー先生ことジョニー・トー監督はじめ、ワイ・カーファイ、ヤウ・ナイホイ、鄭兆強、ソイ・チェン、シルビア・チェン(肩書きは映画監督)、ラウ・チンワン、林雪、ルイス・クー、アンディ・ラウ、サミー・チェン、サイモン・ヤムなど(順不同)。
 取り上げられた映画は、『高海抜之恋Ⅱ』『毒戦』『奪命金』『盲探』『大事件』『孤男孤女』『やりび』『PTU』『放。逐』『十萬火急』『文雀』『柔道龍虎房』『黒社会1・2』など(順不同)。
 もう情報量が多くて、字幕を読んでいると画面が見られず大変だった。
 もう一度観たい。
 内容は、プロムナードからの夜景から始まり、大陸での撮影から「プロフェッショナリズム」の話、トー先生の仕事の仕方の話、「フレッシュウェーブで若手を育てる話」「香港における香港映画の意義そして香港の未来」のような流れ。
 『十萬火急』では現場の足元にガソリンが来て大変なのにトー先生はモニターを見ながら葉巻を吸っていたとか、大陸で撮影しているとき林雪が「台本はいつ来るのか」と大陸の俳優から聞かれっぱなしだったとか、笑うところもあったけど、大部分はシリアスな話。
 『PTU』の階段を懐中電灯の光が上がっていくシーンは台詞があったのを全部カットしたとか、『大事件』冒頭の長回しでの緊張は大変なものであったとか(そうでしょうとも!)、『孤男孤女』はサミーの演技によって台本がどんどん書き換えられたとか、『放。逐』はほとんど台詞が決まっていなかったとか。
 それにしても、『盲探』のときには払うお金がなかったというのには驚いた。
 『やりび』のジャスコのシーンは4時間で撮らなければならず、ひとつの画面に多くの人物を収める、人物の配置などに工夫がこらされたとか。
 何が嬉しかったといって、『やりび』と『PTU』が一部とはいえスクリーン(それも香港の)で見られたことです。
 フレッシュウェーブの意義については夕張のトークイベントでも言っていたけど、香港での映画の意義は単なる娯楽ではなく、未来のために必要であるということが強調されているように思われた。
 それで「中環のフェリーピアの取り壊しは悲しかった。香港政府は人々のために何をしているのだ」という発言があって、『黒社会』の話になるのですが。
 『黒社会』は、選挙が偽物になっていく話で、特に「2」は中国の介入で香港を象徴するルイスの運命が大きく変わっていく話で、ルイスの見下ろす田畑が初めと終わりで全く意味が変わっているということが語られて、2012年の大遊行の映像が挿入されるわけです。
 なぜ2012年かというと映画が2012年に作られたからだけど。
 ついこの間まで、ついすぐそこで何があったか、それは終わったわけではなく、今もこれからも続くことを考えると、もう、泣けて泣けて泣けて。
 もし、この映画が今年作られていたら全く違う映像が使われたはず。
 最後に、トー先生は映画を作る仕事ができることは幸せだと言っていた。それは、映画にできることと香港の未来を信じているからだと思う。
 次に作る映画はどんなだろう。
 香港で、この時にこの映画を見られたのは幸せだった。
 でも、ちゃんと全部わかりたいし、日本でもたくさんの人が見るべきである。
 どうかどうか、日本でも公開していただけないだろうか。
 関係者のみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。心から。

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『消えた画 クメール・ルージュの真実』

 初めて会ったカンボジア人は、大学院に治水を学びに来た留学生だった。ちょっと家を空けている間に家族全員が連れ去られ、一人だけ生き残ったと言っていた。90年代のことだったので、内戦が終結してから、ほとんど初めてに近い国費留学生だったと思う。
 当時、カンボジアについて知っていることはあまり多くはなかった。

 ポル・ポト政権は1975年4月17日から1979年1月7日までカンボジアを掌握していた。プノンペンに住む人々は地方に強制的に移住させられた。そして、知識層・旧体制関係者、裏切り者とみなされた人々が200万人以上、国民の5分の1近くが殺されたという。
 『消えた画 クメール・ルージュの真実』のリティ・パニュ監督は1963年生まれでプノンペンに住んでいた。パンフレット(文章が多く読みでがある)で知ったのだが、父は教師を経て文部官僚となった「革命の敵」側の人間だったという。兄はギターを弾いていたことから反革命と見なされ1975年4月17日以来行方不明、父は絶食して死を選び、母と姉は病死した。
 『消えた画 クメール・ルージュの真実』は、朽ちながらも残されたフィルム(ほとんどがポル・ポト政権のプロパガンダ映像)と「死者を埋めた田」の土で作られた人形によって作られた映像で、監督の記憶を、消えてしまった映像を再現しようとした映画である。
 公式サイトはこちら

 予告編。

 土人形によって再現された過去は、内戦前のプノンペンの楽しかった記憶から始まる。しかし、すぐにプノンペンから移住させられ、性別と年齢で分けられ、持ち物はスプーン1本以外は所有することを許されず、髪を切られ、名を変えさせられ、服はすべて黒く染められた。しかし、映画では監督の土人形だけは鮮やかな色のシャツを着ている。
 プロパガンダ映像では、幹部たちはいつも笑っており(実際に恵まれた生活をしていたらしい)、人民は理想に燃えて労働に勤しんでいる。しかし、土人形は「生き生きと表現豊かに(と監督がパンフレットのインタビューで語っていた)」実際にあったことを描く。
 特に胸に堪えたのは、マンゴーを採った母が9歳の息子に告発され森に連れていかれ戻ってこなかったことや、現在の監督が映っているテレビを「こんなことを言って…」と両親が笑いながら見ている場面だった。
 実際には、残虐なことは映画で描かれた以上に数限りなく行われただろう。
 帰って来て録画してあった「大量虐殺をどう裁くか」というドキュメンタリーを見直した。現在、カンボジア国民の3分の2がポル・ポト時代を知らない世代らしい。しかし、40代以上の人はこの時代を生き延びてきていることになる。
 理想的だが非現実的なスローガンを掲げ、自分たちは安楽にしながら自分たちより弱い他者に辛苦を強いて支配欲や隠れた劣等感を満たそうとしているように見える人々の気持ちは全く理解できないが、同じようなことは、昔も今も世界のあちらこちらで起こっている。
 リティ・パニュ監督は「カンボジアの虐殺について描く仕事に集中していく」とインタビューを結んでいるが、これは、カンボジアだけではなく、世界のどこにでも起こりえる話なのだと思う。
 カンボジアに行く機会(実はほぼ確実にある)があったら、見るべきものは見てこなければならないと思ったのだった。

 内戦前のカンボジア映画はほとんど残っていないのだが、実は、『怪奇ヘビ男』という映画が残っていて東京の映画祭で公開され、これが、めちゃくちゃ面白いらしい。最近の映画だと『遺されたフィルム』という映画が若い監督によって2014年に作られ、今年の東京国際映画祭で公開された(記事はこちら)。
 今回の『消えた画』は、いつもお世話になっているシアターキノさんが「太秦コレクション」として3日間だけ公開してくださったもので、実は最近体調がよろしくなく仕事を極力減らしている状況ではあった(そのため太秦コレクションの『GF*BF』は涙を飲んで見送った)のだが、これは無理をして行った甲斐があった。
 できれば、『怪奇ヘビ男』と『遺されたフィルム』も見たいのだが、何とかならないだろうか。できれば、セットでソフトを出してくださると、とてもとても嬉しいのだが。

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