あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今回の香港話の続きです。
占拠活動中の香港には、行きたかったのだが、どうしても行けず、りんご新聞のライブをずっと見ることしかできなかった。だから、香港に行ったら、せめて、その跡にだけでも行きたかった。
金鐘では9月28日から12月11日まで占拠活動が行われた。

9月30日のようす(yahoo香港からお借りしました)。
この「獅子山下」が歌われたのもここ。
今ごろ見つけた動画なのだが、目頭が熱くなる。
詳しいことについては、りえさんのこちらの記事やこちらの記事をご覧ください。2番目の記事は香港人の芸術的センスに瞠目させられる。
2014年12月28日のハーコートロードはこんなだった。

何事もなかったように車が走っている。
9月28日には、正面の赤のしましまの建物の前の歩道に人が集まっていて、その人たちが車道に出て行くのをりんご新聞のライブストリーミングで見ていた。
右手の真ん中の中国国旗は「まちがって」逆さに掲揚されたやつだと思う。



よく見ると、あちらこちらに痕跡が残っている。
政府総部横には、まだテントを張って頑張っている人たちがいる。

左下の絵がかわいいこの写真、

テントの前の道を黄色い傘をさして歩くおっちゃんと、その前に、拡声器で何かを訴えながら歩くおっちゃんがいた。何を言っているかはわからなかったけど「二人デモ」のようだった。

帰り道、歩道橋に上がったら、そのおっちゃんたちが休んでいた(この写真は顔が写っていないから載せてもだいじょうぶだと思う)。前を通りかかって目が合ってお互いにっこりして、一旦は通り過ぎかけたのだが、戻って話しかけてみた。
「英語分かりますか?」と訊いたら「少しだけ」とのことだったので、「自分は日本人で、ずっと来たかったんだけど来られず、9月28日からずっとインターネットでライブを見ていたのだが、ついに来ることができたのである」というようなことをお伝えした。本当は、「香港に明るい未来が来ることを信じています」とか広東語で言えればよかったんだけど「加油」しか言えなかった。
でも、話しているうちに涙が出てきて、おっちゃんは腕をぽんぽんしてくれて、何となく言いたいことは伝わったような気がしている。
この日は日曜日だったのだが、歩道橋に上がって写真を撮っている一般人がけっこういた。おっちゃんに話しかけている人もいた。この場所は、ずっと香港や香港外の人々の記憶に残る場所になるのだと思う。
ここで起こったことが全てよい思い出になって、香港に明るい未来がやってくることを心から祈る。
我真要普選。我真希望香港民主、香港明天美好。
【追記】
大山顕さんという方が「団地とデモを見に香港へ行った」という記事を書いてらして、団地の話もよかったのだが、特に、5ページ目のデモの記述がとてもよかった。
12月6日に金鐘にいらしているのだが、「『ハイウェイを占拠している』こと以外はものすごく日常」で「学生でいっぱいなのに、みんな静か。騒いでいる人が誰もいない」。
そして、「ぼくが思ったのは、これは「場所に別の可能性を記録している」ということなんだな、ということだった」とのこと。以下、引用です。
このデモがどういう結末を迎えて今後香港の政治がどのようになるのかはぼくには分からない。学生たちが望んでいるようなふうにはいかないかもしれない。でも、彼らと香港市民は、この場所に来るたびにこの不思議な光景と雰囲気を思い出すだろう。もちろんぼくもだ。きっとぼくは死ぬまで "Admiralty" と聞いたらこの夜とこの場所、彼らが求めていたことを思い出すだろう。このデモの効用はそういうことではないか。
これは、本当にそうだと思った。自分は占拠の現場にはいられなかったけれど、占拠の光景と雰囲気を現場で知ることはできなかったけれど、金鐘に行くたびに雨傘革命のことを思い出すだろうと思う。そして、それは、他の人もそうなのだろうと思う。だから、何人もの人が訪れて写真を撮っていたのだ。
今回の活動で普通選挙は実現しなかったけれど、占拠の意義はあった。
これからも活動が続いていくことを、そして実を結ぶことを心から祈る。
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