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2015年1月

香港人と香港警察

 初めは「光明磊落博物館」のことを書くつもりだったのだが、長くなりそうなので分けることにした。

 香港人は警察官が大好き「だった」。
 2008年の年末に香港に行ったときには、金馬倫道で白バイの警官が囲まれて大記念写真大会になり、1時間経ってもまだ終わっていなかったということがあった(そのときの記事はこちらに)。自分も「香港のお巡りさん」が大好きで、会うと「きゃあ」と思って密かに写真を撮ってしまったりしていたものだ。一度声をかけられたことがあったのは嬉しかったなあ(記事はこちら)。

 香港映画にも警察は山のように登場し、「無間道(インファナル・アフェア)三部作」をはじめ「PTU」「寒戦(コールド・ウォー 香港警察二つの正義)」など枚挙にいとまがない。警察抜きの香港映画は想像できないような気がする。

 しかし、雨傘運動後、その関係は一変した。

 「公安無間道」

 名作「無間道」の替え歌である。よりにもよって「無間道」の。

 「狂惹之Sir 黑警暗角主題曲」

 警官が公民党の曽議員を物陰(その後「暗角」として観光名所になった。行かなかったのだが添馬公園の下だったのか)でぼこぼこにし、それをTVBがばっちり撮影して全世界に報じられた(NHKでもやってた)事件も歌になっている。
 原曲は、アーロンの「狂野之城」。

 見て分かるように、動画には、今回の雨傘運動で警察が香港市民に対して何をしたかがてんこ盛りになっている。
 占拠の初めの頃に金鐘で警官が丸腰の(防御のために雨傘を持ちラップを巻いただけの)香港市民に八十数発の催涙弾を発射したことは、香港市民にとても大きなショックを与えたと思う。香港人が香港警察を好きだったのは信頼関係があったからで、その警察官が自分たちを攻撃したら、いったい誰が自分たちを守ってくれるのか。中国政府が「50年間は体制を変えない(民主的な体制を維持する)」というイギリスとの協定を破ることを公言し、自分たちを守ってくれると思っていた警察官が攻撃してきたら、どうすればいいのか。
 イギリス統治には、もちろんいい点も悪い点もあったとは思うけれども、民主的な言論の自由が保護されていたことは大きかったと思う。そして、いろいろと大変だけれど、ユーモアを交えながら意見を表明し未来への希望を持ち続けることは香港人の美徳だと思う。

 今回の警察の行動は、その香港人の希望を大きく損なった。
 「これから香港映画はどうなるんだろう」というのは、この9月28日以降、香港映画好きの間でしばしば交わされたことだが、「雨傘後」に作られる映画は「雨傘前」に作られた映画と変わらざるを得ないだろう。

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 先日金鐘に行ったときには、周辺に警官がたくさんいたのだが、脳裏には「おまわり」とか「ポリ公」という単語しか浮かばなかった。
 外国人の自分ですらこうなのだから、香港人はどんな気持ちだろう。

 しかし、希望とユーモアは香港人の美徳である。
 それでも、香港の未来が明るいものであることを心から願っている。
 我希望香港明天美好。香港人加油!

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旺角を歩いた 2014年12月29日

 旺角は、このたびの雨傘運動で占拠された場所のひとつである。
 占拠中はずっとりんご新聞のライブストリーミングを見ていた。

 

 占拠地の中でも旺角は特に荒っぽくて、衝突も激しかった。

 でも、香港に着いた日、飛行機が1時間半遅れて、N21(A21と同じようなルートだけど、夜間バスで、空港の人の通勤バスでもあるので、空港内や近郊住宅地をぐるぐる回るので時間がかかる)のバスに乗ることになり、夜中の1時過ぎにネーザン・ロードとアーガイル・ストリートの交差点を曲がったときには、あんまり静かで、普通に車が走っていて、そのあまりの普通さに、涙が出た。

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 このあたりは占拠の中心地だったのに。

 でも、痕跡はあちらこちらに残っていて、

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 角の恒生銀行(よく動画で見ていた)のビラのあとや、

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 道路の表示板や、

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 信号機など。
 目をこらせば、あちらこちらに残っているものがある。

 最近は「鳩鳴(「がううー」と読む。お買い物を意味する「購物」と同じ音で、えらいさんが「占拠地で買い物を」と呼びかけたことから、あっというまに散発的ゲリラ的なデモのような意味合いで使われるようになったもよう。「9wu」と書くこともある)」運動の舞台になっているらしい。今でも毎日のように行われているようで、よくツイッターなどに写真が上がっている。

 替え歌もできている。これは、うちのグラスホッパーの曲だ。
 というか、雨傘運動のアートはすごいと思うんだけど(詳しくはりえさんのこちらの記事などを)、替え歌がまたたくさんできていて驚いた。「無間道」とか(これはすごいわ)。「鳩鳴」だとこういうのもある。
 替え歌については、山のようにあって、別項を設けたいほど。

 雨傘運動はまだ始まったばかりで終わってはいないのである。

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金鐘に行きました

 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今回の香港話の続きです。

 占拠活動中の香港には、行きたかったのだが、どうしても行けず、りんご新聞のライブをずっと見ることしかできなかった。だから、香港に行ったら、せめて、その跡にだけでも行きたかった。
 金鐘では9月28日から12月11日まで占拠活動が行われた。

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 9月30日のようす(yahoo香港からお借りしました)。

 この「獅子山下」が歌われたのもここ。

 今ごろ見つけた動画なのだが、目頭が熱くなる。

 詳しいことについては、りえさんのこちらの記事こちらの記事をご覧ください。2番目の記事は香港人の芸術的センスに瞠目させられる。

 2014年12月28日のハーコートロードはこんなだった。

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 何事もなかったように車が走っている。
 9月28日には、正面の赤のしましまの建物の前の歩道に人が集まっていて、その人たちが車道に出て行くのをりんご新聞のライブストリーミングで見ていた。
 右手の真ん中の中国国旗は「まちがって」逆さに掲揚されたやつだと思う。

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 よく見ると、あちらこちらに痕跡が残っている。

 政府総部横には、まだテントを張って頑張っている人たちがいる。

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 左下の絵がかわいいこの写真、

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 テントの前の道を黄色い傘をさして歩くおっちゃんと、その前に、拡声器で何かを訴えながら歩くおっちゃんがいた。何を言っているかはわからなかったけど「二人デモ」のようだった。

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 帰り道、歩道橋に上がったら、そのおっちゃんたちが休んでいた(この写真は顔が写っていないから載せてもだいじょうぶだと思う)。前を通りかかって目が合ってお互いにっこりして、一旦は通り過ぎかけたのだが、戻って話しかけてみた。
 「英語分かりますか?」と訊いたら「少しだけ」とのことだったので、「自分は日本人で、ずっと来たかったんだけど来られず、9月28日からずっとインターネットでライブを見ていたのだが、ついに来ることができたのである」というようなことをお伝えした。本当は、「香港に明るい未来が来ることを信じています」とか広東語で言えればよかったんだけど「加油」しか言えなかった。
 でも、話しているうちに涙が出てきて、おっちゃんは腕をぽんぽんしてくれて、何となく言いたいことは伝わったような気がしている。

 この日は日曜日だったのだが、歩道橋に上がって写真を撮っている一般人がけっこういた。おっちゃんに話しかけている人もいた。この場所は、ずっと香港や香港外の人々の記憶に残る場所になるのだと思う。
 ここで起こったことが全てよい思い出になって、香港に明るい未来がやってくることを心から祈る。
 我真要普選。我真希望香港民主、香港明天美好。

【追記】
 大山顕さんという方が「団地とデモを見に香港へ行った」という記事を書いてらして、団地の話もよかったのだが、特に、5ページ目のデモの記述がとてもよかった。
 12月6日に金鐘にいらしているのだが、「『ハイウェイを占拠している』こと以外はものすごく日常」で「学生でいっぱいなのに、みんな静か。騒いでいる人が誰もいない」。
 そして、「ぼくが思ったのは、これは「場所に別の可能性を記録している」ということなんだな、ということだった」とのこと。以下、引用です。

このデモがどういう結末を迎えて今後香港の政治がどのようになるのかはぼくには分からない。学生たちが望んでいるようなふうにはいかないかもしれない。でも、彼らと香港市民は、この場所に来るたびにこの不思議な光景と雰囲気を思い出すだろう。もちろんぼくもだ。きっとぼくは死ぬまで "Admiralty" と聞いたらこの夜とこの場所、彼らが求めていたことを思い出すだろう。このデモの効用はそういうことではないか。

 これは、本当にそうだと思った。自分は占拠の現場にはいられなかったけれど、占拠の光景と雰囲気を現場で知ることはできなかったけれど、金鐘に行くたびに雨傘革命のことを思い出すだろうと思う。そして、それは、他の人もそうなのだろうと思う。だから、何人もの人が訪れて写真を撮っていたのだ。
 今回の活動で普通選挙は実現しなかったけれど、占拠の意義はあった。
 これからも活動が続いていくことを、そして実を結ぶことを心から祈る。

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