バイヨン
今回行ったアンコール遺跡の中で、どこが一番好きかと言われたらバイヨンである。
アンコール・トムの真ん中に位置する、ジャヤヴァルマン7世によって建てられた国家守護寺院。四方に観世音菩薩のご尊顔が彫られた塔が54基あることで有名である。この54基が統治する地方の数であるとか、神の住む山を模しているなどの説がある。
本来であれば東側から入るのだが、東側が修復中のため、西側から入った。入ると正面にある、謎の少女を象った菩薩像。
柱にはアプサラ(舞姫)が彫られているのだが、この穴はどう見ても弾痕だと思う。アンコール遺跡の石には石材を運ぶための穴が開いていることが多いのだが、彫ってから穴を開けるわけないもの。痛ましいことだが、ご無事でなによりだった。
バイヨンは回廊の浮き彫りも有名なのだが、これは上部テラス。
夕方行ったので、観世音菩薩像が西日に照らされている。午前に来ると、また光の加減が違っていていいと思う。
これは、カンボジアの紙幣にも載っているらしい有名な菩薩像。
しかし、えらい数の人で(主体は記念写真を撮るのが大好きな中国人観光客のみなさんであった)近づくのが容易ではない。
ちなみに、四面像の中はこうなっている。
前にも書いたのだが、ジャヤヴァルマン7世の時代になると、実在の人物の顔がモデルになることがあり、アンコール朝の王の中で唯一ジャヤヴァルマン7世だけが彫像が残っていて容姿がわかる。
バイヨンの四面観音像については、目が開いているか閉じているか口元がどうかなどで仏教でいう「慈悲喜捨」を表しているらしいのだが、表情がリアルで、ジャヤヴァルマン7世の父王がモデル説、ジャヤヴァルマン7世がモデル説、カンボジア人モデル説などがある。
これはプノンペンの国立博物館にあるジャヤヴァルマン7世像。
観音像のモデルはこの人のような気がする。
もうひとつリアルな像が、ジャヤヴァルマン7世の第二王妃がモデルといわれる像。中央祠堂の東側の入り口横にある。
根が明るく気が強く、とってもよく喋りそうだ。
800年間、ここから、いろいろなこと(15世紀にアンコール朝が滅び、タイに占領され、フランスの植民地になり、インドシナ戦争に巻き込まれ、このあたりは1970年以降は内戦の激戦地で、90年代に内戦が終わり地雷が撤去されるまでは観光客はあまり入れなかったはず)を見てきたのだろうなあ。
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