カテゴリー「映画(中華圏・インド以外)」の143件の記事

『Star Wars Episode 7(フォースの覚醒)』

 9月と12月の香港報告もしないまま、どんどん日が経っていきますが。
 これは書かなければなりますまい。
 なぜなら、エピソード4は映画館に籠もって見続けた(当時は金はなかったが時間と体力はあり、そしてシネコンじゃなかった)からである。

 泣き笑いしながらIMAX3Dで見た。

 タイトルとおなじみの黄色いテロップで泣き。
 ミレニアム・ファルコンで泣き。
 ハイパードライブで泣き(エピソード5じゃ壊れてたしさ)。
 ハン・ソロとチューバッカで泣き。
 ミレニアム・ファルコンの銃座の照準が昔と同じで泣き。
 ハン・ソロとレイアのツーショットで泣き(40年近く経つもんなあ…)。
 R2-D2の再起動で泣き。

 おなじみ「怪獣将棋」とか、アクバーお魚提督とか、大喜び。あのテレビに足が生えたようなやつも、やっぱり可愛いよね。

 正直なところ、全く期待しないで観に行ったのだが。
 とっても、エピソード4を本歌取りしていたと思う。
 そりゃー反乱軍はXウィングだよね!とか。帝国の武器はデス・スターだよね!とか、そしたら当然攻撃はそうなるよね!とか。
 ドロイドに情報とか、酒場の雰囲気とか。セリフもところどころ同じ。
 エピソード1〜3を知らなくても差し支えないところもよかった。エピソード4〜6は知っていたほうが楽しめると思う。
 あの兜はどこで入手したんだろう…とか。
 あそこは、「I am your father」を絶対意識しているよねえ、とか。関係が逆だったり役が違ったりしてるけれども。

 エピソード6までで話は片付いているので、新しい話になるわけだけど、新キャラクターもなかなかよかったと思います。
 ドロイドは、そりゃ、そういう形状の方が移動に便利だよね、とか。個人的に全編通して一番可愛いのはR2-D2なのだが、BB-8も可愛いぞ。
 1000年酒場をやっている婆ちゃんもよかった。ヨーダ的ポジションか。
 艦内でライトセーバーで八つ当たりはどうかと思うぞ、玉木宏!とは思ったけどね。小物感が否めない。あと、あなたたちは、もしかして親戚だったりしませんか?と終盤で思う。いや、単にフォースが強いだけだろうか。考えてみると、歴代のジェダイマスターは揃いも揃って弟子の養成に失敗しているし。

 J.J.エイブラムス、よくやった。わかってるね。ありがとう。
 最後のぶった切りかたが、エピソード5のようで笑ったけど、もう監督しないんだっけ。続けてやって欲しい気がする。

 もう1回見にいこうかなあ。

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『ヴァチカン美術館 天国への入り口』と『ナショナルギャラリー英国の至宝』

 年末の香港話にカンボジア話が割り込んでいるのだが、さらに割り込み。
 実は少々機嫌がよくない。

 今、繁忙期で、疲れてしまって綺麗なものが見たかったわけです。
 で、見に行ったのが、『ヴァチカン美術館 天国への入り口』と『ナショナルギャラリー英国の至宝』なのだが、うーむ。どちらも、一度だけ行ったことがあるのだが、それはそれはすんばらしいものが山のようにあるので、スクリーンでそれらの作品を見たかったのに。

 ごたくを並べていないで作品を見せなさい!…と思った。

『ヴァチカン美術館 天国への入り口』(公式サイト

 こちらは、66分と短い。
 予告編。

 予告編でわかるように、大フィーチャリング「ラオコーン」。
 ミケランジェロのピエタ(30分ぐらいずっと見てた)やシスティナ礼拝堂など、有名なものは一応カバーしているのだけれども。ゴッホやダリの作品は見なかったので、見られたのはよかったんだけど。

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 見たかったのは「アテネの学堂」なんです。
 写真を撮るとどうしても斜めになってしまうのは部屋が狭いからなのだが、一人だけ(厳密には作者のラファエロ自身も見てるけど)こちらを見ている女性(ラファエロの恋人らしい)の目力がすごくて目が離せないの。混んだ部屋だったのだが1時間ぐらい立ちっぱなしでずっと見ていた。
 スクリーンと絵の大きさがほとんど同じだったので、真っ正面から撮ったところを是非見たかったのに、少ししか出てこず、大変残念であった。
 しかも、美青年と砂のイメージ映像が頻繁に入り、その映像がなければ、もっといろいろ見られたのにと思うと残念でしかたがない。

 そして、今日行った『ナショナルギャラリー英国の至宝』(公式サイト)。
 予告編。

 ここは、昔、一度だけ行った。改装中だったので、今の様子は知らない。
 でも、ほんとうに収蔵品がすばらしいのである。中世の絵画から、フランドル絵画、印象派、ターナーのコレクション等々、そして何と言っても見たかったのは、

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 レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」の天使の巻き毛。美しいのよ。
 大きな絵で、行った時は聖母子像の素描と並べてあって、ずっと見ていた。

 実は、映画の中に大規模なダ・ヴィンチ展が出てきて、「岩窟の聖母」のルーブル美術館版(2つあるのだ)やヴァチカンの聖ヒエロニムスや大量の素描やら様々なものが来ていて、ひえー!というコレクションだったのだが(人がすんごい並んでいた)、絵の前で「今回、『岩窟の聖母』については技法がすべてわかりました」などと長々インタビューをしているのに、絵が全然映らない!映せよ!ルーブル版と並べてもいろいろ面白いことができるでしょうに。聖母子像の素描も謎が多くて面白いのに。
 監督は強いて言えばフランドル絵画が好きなようで、レンブラントやルーベンスが多く出てきたのだが、飛び飛びで出てきたり、レンブラントの後がカラヴァッジオその後フェルメールとか時代も場所もばらばらで、絵についても解説があるわけではなく、印象としては、

 イギリス人が喋りまくっている。

 喋っているのも素材としては面白くて、予算や広報などに関する会議の様子(他人事とは思えない)とか、目の見えない人に絵を知らせる催しとか、修復のようすとか、学芸員の解説とか、裸体のスケッチをする人々(あれは美術館の主催なんだろうか?モデルさんって大変なんだな)とか、ちゃんと編集すればいいのに、何を伝えたいのか意図が全くわからず、面白いと思ったものを恣意的に繋いだとしか思えない。セクションを区切るなり、落としどころを考えて流れを考えるなり、いくらでもやりようはあるだろうに。
 人に焦点を当てるなら、それなりのまとめ方があるし、テロップでどんな人かを説明すればいいし。あれだけコレクションがすごいんだから、絵に焦点を当てて纏めてもいいのに、絵についても解説が一切なく、時代も流れもばらばらで、人の背景扱いのような雰囲気もあり(ミケランジェロと同じ部屋にマニエリスムの有名な絵が!とか面白いのに)、ああ、その背後の絵をもっとちゃんと見せてほしい、私は絵が見たいんだよ、絵が!という感じで。
 せめて説明をちゃんとして一貫性をもたせるのは監督の義務だろう。
 しかも、長さが3時間。苦痛だった。絵と人々は素晴らしいのに。
 監督と編集はインドに修行に行け!と思う。
 あの監督(フランス人らしい)、実は絵にはあまり興味がないと思う。
 好きで教養と腕がある人が撮らないとだめだ。ああ、もったいなさすぎる。
 美味しいお肉を不味い野菜炒めにされてしまったようで、疲れが倍増。どうにも機嫌がよくならないのだった。せっかくいい絵が揃っているのになあ。

 しかし、一方で思ったのは、日本での美術の大衆への普及度はすごいのではということ。毎週日曜日には「日曜美術館」があるし、『芸術新潮』も月刊で出ているし、『ブルータス』も美術特集組んだりしているし、日本は美術については民度がかなり高いんじゃないかと思う。
 それだけに、絵を見たくて観に行った人は多かったんじゃないだろうか。

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『消えた画 クメール・ルージュの真実』

 初めて会ったカンボジア人は、大学院に治水を学びに来た留学生だった。ちょっと家を空けている間に家族全員が連れ去られ、一人だけ生き残ったと言っていた。90年代のことだったので、内戦が終結してから、ほとんど初めてに近い国費留学生だったと思う。
 当時、カンボジアについて知っていることはあまり多くはなかった。

 ポル・ポト政権は1975年4月17日から1979年1月7日までカンボジアを掌握していた。プノンペンに住む人々は地方に強制的に移住させられた。そして、知識層・旧体制関係者、裏切り者とみなされた人々が200万人以上、国民の5分の1近くが殺されたという。
 『消えた画 クメール・ルージュの真実』のリティ・パニュ監督は1963年生まれでプノンペンに住んでいた。パンフレット(文章が多く読みでがある)で知ったのだが、父は教師を経て文部官僚となった「革命の敵」側の人間だったという。兄はギターを弾いていたことから反革命と見なされ1975年4月17日以来行方不明、父は絶食して死を選び、母と姉は病死した。
 『消えた画 クメール・ルージュの真実』は、朽ちながらも残されたフィルム(ほとんどがポル・ポト政権のプロパガンダ映像)と「死者を埋めた田」の土で作られた人形によって作られた映像で、監督の記憶を、消えてしまった映像を再現しようとした映画である。
 公式サイトはこちら

 予告編。

 土人形によって再現された過去は、内戦前のプノンペンの楽しかった記憶から始まる。しかし、すぐにプノンペンから移住させられ、性別と年齢で分けられ、持ち物はスプーン1本以外は所有することを許されず、髪を切られ、名を変えさせられ、服はすべて黒く染められた。しかし、映画では監督の土人形だけは鮮やかな色のシャツを着ている。
 プロパガンダ映像では、幹部たちはいつも笑っており(実際に恵まれた生活をしていたらしい)、人民は理想に燃えて労働に勤しんでいる。しかし、土人形は「生き生きと表現豊かに(と監督がパンフレットのインタビューで語っていた)」実際にあったことを描く。
 特に胸に堪えたのは、マンゴーを採った母が9歳の息子に告発され森に連れていかれ戻ってこなかったことや、現在の監督が映っているテレビを「こんなことを言って…」と両親が笑いながら見ている場面だった。
 実際には、残虐なことは映画で描かれた以上に数限りなく行われただろう。
 帰って来て録画してあった「大量虐殺をどう裁くか」というドキュメンタリーを見直した。現在、カンボジア国民の3分の2がポル・ポト時代を知らない世代らしい。しかし、40代以上の人はこの時代を生き延びてきていることになる。
 理想的だが非現実的なスローガンを掲げ、自分たちは安楽にしながら自分たちより弱い他者に辛苦を強いて支配欲や隠れた劣等感を満たそうとしているように見える人々の気持ちは全く理解できないが、同じようなことは、昔も今も世界のあちらこちらで起こっている。
 リティ・パニュ監督は「カンボジアの虐殺について描く仕事に集中していく」とインタビューを結んでいるが、これは、カンボジアだけではなく、世界のどこにでも起こりえる話なのだと思う。
 カンボジアに行く機会(実はほぼ確実にある)があったら、見るべきものは見てこなければならないと思ったのだった。

 内戦前のカンボジア映画はほとんど残っていないのだが、実は、『怪奇ヘビ男』という映画が残っていて東京の映画祭で公開され、これが、めちゃくちゃ面白いらしい。最近の映画だと『遺されたフィルム』という映画が若い監督によって2014年に作られ、今年の東京国際映画祭で公開された(記事はこちら)。
 今回の『消えた画』は、いつもお世話になっているシアターキノさんが「太秦コレクション」として3日間だけ公開してくださったもので、実は最近体調がよろしくなく仕事を極力減らしている状況ではあった(そのため太秦コレクションの『GF*BF』は涙を飲んで見送った)のだが、これは無理をして行った甲斐があった。
 できれば、『怪奇ヘビ男』と『遺されたフィルム』も見たいのだが、何とかならないだろうか。できれば、セットでソフトを出してくださると、とてもとても嬉しいのだが。

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『トランスフォーマー/ロストエイジ』は香港が舞台ではあるのだが

 ごぶさたしていました。いやー大変な1週間だった。
 香港をスクリーンで見たかったので行ったのだが。

   長かった…。
 
 167分で、インド映画とあまり変わらないのだが、長かった。

 まあ、こういうところがすごいらしいのだが。
 なぜ長く感じられたかというと、

 ・もともとトランスフォーマーにはそれほど興味がない
 ・香港目当てで見た
 ・インド映画や香港映画の文法に慣れすぎた

 ということがあったのだと思う。

 ストーリーは、トランスフォーマーがすっかり敵扱いされている世界で、マーク・ウォルバーグ演じる発明家兼修理屋のところに変わり果てたオプティマスプライムが拾われ、オートボットとトランスフォーマーを自分たちで作ろうとする人間に作られたものが最終的に香港で戦うというもの(たぶん)。
 でも、結局見せたいのは、トランスフォーマーの変形とかCGとか格闘シーンで、人間は付け足しの設定に感じられて、誰にも感情移入できず、ストーリーもこれでなくてもいいんじゃね…と思ってしまったのだった。
 もちろん「テキサスから香港にどうやって行くんだよ」と思いながら見ていたので、ストーリーが頭に入ってこなかったこちらの責任もある。
 でも、インド映画や香港映画は、もうちょっと特撮以外で盛り上げる工夫をすると思うんだよなあ。人物の造形が紋切り型過ぎてつまらないんだもん。
 自分はSF映画を愛するものなので、もちろんあの手の映画は嫌いではないのだが、特撮だけではなく、ちゃんと「映画」も見たいのだ。
 しかも、よりによって主人公の名字が「イェーガー」だったので、どうしてもどうしても『パシフィック・リム』を思い出してしまったのも敗因だったと思う。あれも香港戦だし。
 香港のシーンは、もっぱら香港島側が舞台だと思うのだが、ここはどこ?湾仔?この団地どこ?と前面で戦うトランスフォーマーそっちのけで背景を見てしまったのだった。中国銀行の「海老ビル」の使い方や、例によって壊されるエキシビジョンセンターはよかったと思う。
 あと、あのつるんとしたおっさんが飲むべきなのは、大陸のミルク系飲料ではなく、香港ならビタソイだと思います(対中国向けのタイアップらしいけど)。

 今後は背景目当てで観に行くのはやめようと反省しました。

 香港プレミアの模様とのこと。そりゃ盛り上がるわね。

 これが167分でノーカットなら、インド映画はノーカット公開でいいと思う。

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『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』

 下書きしたのを投稿し忘れそうなので。

 休日出勤の後、翌日は代休なのをいいことに観に行った。
 取材申し込みをしてから16年後に返事が来て、準備2年、撮影6か月(監督が一人で修道院に泊まり込み)、編集に2年という労作である。

 予告編を見て行きたくなった。

 音楽なし、ナレーションなし、照明なしで2時間49分。
 気持ちよく撃沈したお客様の寝息が聞こえた。かわいそうだったのは一家4人で来ていた小学生の息子さんで、静かにしていたのは偉かったのだが、もぞもぞして辛そうだった(なんでよりによって子供連れでこの映画に?)。
 実をいうと時々数分間沈没したけど、おもしろかった。
 カトリックの学校に行っていたので修道会には普通の人よりなじみがあるのだが、どちらかというと禅寺のよう。
 日課がきっちり決まっていて、作務のような日々の労働(薪割りとか鐘を鳴らすとか)もあるのだが、ほとんど自分の個室にいて、祈ったり(1日7回)「霊的読書」をしたり。御聖堂に集まるのは1日3回。辛そうなのは睡眠時間で、日課は、23:30に起床して0:15から3:00まで朝の祈りに出て3:15に再び就寝、6:30に起きてお祈りして霊的読書して8時からミサ、その後は読書・祈り・労働・学習が続き、就寝は19:30。食事は12:00に昼食、17:00に軽い夕食、自由時間は昼食後のお祈りのあと1時間ぐらいか。
 スリランカやミャンマーの瞑想道場には行ってみたいけど、これは厳しい。
 音楽は御聖堂に集まるときの聖歌だけなのだが、これが中世から伝わっているような音楽で、譜面がネウマ譜(四線の楽譜に黒い小さい四角が並んでいる)。ぜんぜん読めない。
 修道会は1084年に設立され、現在の建物は1688年に建てられたとのこと。
 とても大きい建物なのだが、登場する修道士は30名弱で、御聖堂や新人が入ってくる儀式や食事もその人数なので、小さい単位になっているのかも。
 カメラは何人かの修道士、特に入ったばかりのアフリカ人の修道士の居室での様子が多い。だいたいお祈りして読書していることが多いのだが、小さい電子鍵盤を使って歌の練習をしたりもしている。部屋は木で造られていて、だるまストーブとルンペンストーブの間のような懐かしい煙突付きのもの。冬は寒いんだろうなあ。
 食事は居室のドアの横に小さい扉があって、そこから配られる(ちょっと刑務所みたい)。三段重ねの金属の器に入った何かと、お皿に盛った果物とビスケット(クラッカー?)とパン。その料理をアップで映して!と思ったのだが、よくわからなかった。たぶん野菜のスープか煮込みみたいなもの。
 料理は専門の修道士が担当のようで、庭で野菜を作ったり用水路の整備をしたり、とっても働き者。服を作る人と床屋(全員電気バリカンで丸刈り)も専門の修道士がいる。パンフレットによると、服を作る人は端切れもボタンも何一つ捨てないのだそうだ。
 ほとんど自給自足らしいのだが、コンピュータを使って郵便物処理の仕事をしている人もいるし、電気も多少は使っているし、果物などは買っていそうなので、多少はお金も使っていると思う。
 原則として話はしないのだが、シトー会やトラピスト会のように完全な沈黙というわけではなく、日曜日は集まって食事をして、午後は会話をしてもよく、外に出ることも推奨されている。冬、山の斜面で滑りっこ(靴や服のまま滑り/転がり降りる)に興じるみなさんが可愛らしい。
 しかし、何と言ってもツボにはまったのは、

  猫に対しては話しかけてもよい!こと。

 やりとりは控えの間にあるメッセージ箱を通じて行い、仕事に関することは話してもいいらしいのだが、猫対応は仕事か!たぶん牛小屋じゃないかと思うのだが、白黒ぶちとかパステル三毛とか普通の猫がたくさんいるのである。シャルトリューズって、猫やお酒の種類であるんだけどね。
 ナレーションは入らないのだが、ときどき、文字で言葉が入る。
 時折、修道士の顔が一人ずつ映されるのだが、最後に出てくる盲目の修道士さんが何ともいえず味わいがある。この人の言うことも禅のよう。
 最初は何をしているかわからないことも、映画が終わるころには、最初に出てきた冬の風景がリプライズされて、わかるのだった。
 日々の何気ないことがいかに刺激的か、自分たちの日々の生活がいかに刺激がありすぎるというか余計なものが多すぎることか。

 公式サイトはこちら
 修道会はウェブサイトを持っているとのこと。たぶん、これ。映画の画像が活用されているように見えるのだけれど。
 動画もある(こちらなど)。

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『リアリティのダンス』

 ごぶさたしてしまいました。
 先週末は遊びに行ってしまったのだが、その後いろいろ。大変である。
 というわけで、最終日に観に行った。公式サイトはこちら
 実は、ホドロフスキー監督についてはまったく知らなかった。『エル・トポ』『サンタ・サングレ』の名前を聞いたことはあったけど。
 観に行ったのは予告編を見たから。

 超現実的な自伝映画。すべて何かの夢のよう。
 後で知ったのだが、あのウクライナのお店は、本当に生家があったところに建て直したとのこと。床屋さんも実在で、あの店主は日本人だったのか。南米には行ったことがないのだが、チリのトコピージャはあんなところなんだなあ。現実と超現実が入り交じって再構築されたにしても。
 主人公の少年は監督自身。ときどき、現在の監督も出てくる。未来の自分も過去の自分も自分の中にあって、探し物も自分の中にある。死の影は常につきまとっているけれども、たぶんこの世は、生きている間にそれぞれの心の中で構築された束の間の夢のようなものなのだと思う。一方で、世界は自分の思いとは離れたところでいろいろな関わりがあって回っていくので(「縁起」だわね)、どんなことがあっても、生き続けることそのものに意味があるのだ。
 なんだかとても禅のようだと思ったら(般若心経も出てきたし)、監督はメキシコで日本人の禅僧に師事していたとのこと。やっぱり。
 おそらく、この監督は、タブーとか「いけないこと」というのがないのだろうと思った。両手がない人とか、へー男の人ってそういうふうにするんですかとか、虚心坦懐にじっくり見てしまう。別にぼかしはいらないんじゃないかなあ。ところどころなかったし別にそれで何ともないし。邪心がないんだもの。
 予告を見て少年の成長物語かと思ったら、さにあらず、お父さんの再生の物語であった。お母さんのただものでなさが半端じゃない。監督のご両親がモデルらしいのだが。実際に演じているのが監督の長男で、ついでに書くと、行者とアナキスト(音楽も担当)も息子さんで、奥さんが美術をやっていて家族総出である。監督のお家にはきっと動物もたくさんいるような気がする。
 帰って来てから、ずっと思い出している。
 うまく言葉にならないのだが、これを見ると、映画、特にインド映画を見たくなる。なぜかと思うに、いわゆる自分の「常識」と離れたところで、根底に流れる(たぶん「神」とか「世界」に関わる)ある種の思想の上で、とにもかくにも人々が生きていくということが描かれているのが共通しているからだと思う。
 『ホドロフスキーのDUNE』を観に行く余裕がなくて、かえすがえすも残念であった。せめて予告を貼っておこう。

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『ハーブ &ドロシー アートの森の小さな巨人』

 1年前に公開されたのだが、今ごろ見て心打たれた。札幌でも劇場公開されたのだが、忙しい時期で行けなかったのである。ソフトやテレビでの上映はありがたい。

 日本版予告編。

 アメリカ公開版の予告編はこんな。

 日本とアメリカでは焦点がぜんぜん違いますな。
 まあ、たしかに、仕事は何かとは思ったが。
 ご夫君のハーブ・ヴォーゲルは元郵便局員、ご夫人のドロシーは図書館司書。収入の範囲内で住んでいる小さなアパートに収容可能なことを条件に収集した結果、ミニマルアートの一大コレクションを築いていたというドキュメンタリー。
 何がすばらしいといって、このご夫妻には売ってお金を儲けようという欲も有名になりたいという野心も全くないということである。おそらく、自分たちが情熱を持っているという意識もないと思う。そして、コレクションしているミニマルアートが本当に好きで、選ぶ確固たる基準を持っている。
 もともとは、美術が好きでアーティスト志望だったハーブと結婚後にアートに関心を持ったドロシーが、手の届く値段だったという理由でミニマルアートのコレクションを始め、好きなアーティストの思想をたどるという視点のもと、ハーブの猟犬のような嗅覚とドロシーの曇りのない明るさで作品を買い集めた結果、気がついてみると屈指のコレクションが築かれていたのだった。
 二人とも本当に「邪気」のない方で、ついに(最低限必要な費用を除き収入はコレクションに費やされていたためコンピューターすら持っていなかった)パソコンを買うべくアップルストアに赴いたご夫妻の姿、てきぱきと店員さんに質問をして「必要な機能以外はいらない」と安い方のMacBookに決めるドロシーと、一方、店の水槽の魚に釘付けになっている(ご夫妻は動物好き)ハーブがツボであった。
 収集を始めた当時のアーティストは作品がまったく売れず、ハーブとドロシーが現れて初めて現金収入が得られた人も多い。2人は有名とか売れるとか全く考えずに好きなものを買っていたのだが、マスコミに取り上げられたこともあって有名になってしまい、クリスト夫妻は電話をもらって「これでやっと家賃が払える!」と喜んだらしい。しかし、すでに名前が出始めていたために価格が折り合わなかったので一旦は売れず、しかし、作品制作で家を空ける間の猫の世話と引き替えにクリスト夫妻は作品を提供したのであった。これはハーブとドロシーのコレクションに加わりたいということだったんだろうなあ。インタビューされているアーティストの皆さんは、みんなご夫妻にとても好意的である。
 あちらこちらの美術館からオファーはあったものの首を縦に振らなかったご夫妻は、ついに、ナショナルギャラリーに作品を譲渡することを決意。それは、「転売しない」という規約があったことと、祖国に貢献したいという思いがあったから。
 ナショナルギャラリーとしても現代アートの一大コレクションがまるごと手に入るのでいい話だったわけだが、査定のためにコレクションをワシントンに送ろうとしたところ、家一軒引っ越しできるトラック1台で済むと思ったら5台を要してしまい、「あの小さいアパートにどうやって入っていたんですか!」という状態だったらしい。アパートは「楊枝1本入らない」状態で、見に来たキュレーターが「火事になったら…魚の水槽から水があふれたら…」と青ざめるような様子だったという。さらに、ナショナルギャラリーが引き取るか確約していなかったので、もし送り返すことになったら…と、キュレーターは生きた心地がしなかったらしい。
 コレクションが充実していて無事にナショナルギャラリーに寄贈はできたものの、点数が美術館に収容可能な点数を遙かに超えていたため(まったくアパートにどうやって入っていたのだか)、全米の美術館50館に50点ずつ寄贈されることになった。その顛末を描いた続編が『ハーブアンドドロシー ふたりからの贈り物』のタイトルで、この春公開されるのであった。続編の公式サイトはこちら

 ちなみに、監督・プロデューサーは佐々木芽生さんという札幌出身の方。1時間余のインタビュー動画があった(こちら)。まだ見ていないのだが、この作品が日本の方の手によって生み出されたことは誇りである。

 続編の日本版予告編。

 予告編を見て、あれもしかして、と思ったら、インタビューでネタが割られていた。これは劇場に行くつもりなのだが、泣くかもしれん。 

 本編の公式サイトはこちら

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『新しき世界』

 考えてみると、病み上がり映画第一弾はこれだった。
 韓国映画はあまり見ないのだが、お誘いをいただいたのと、チェ・ミンシク(けっこう好き)が出ているので観に行ったのである。
 
 予告編。

 主人公はイ・ジョンジェ演じるジャソン。韓国の黒社会は会社組織を作っているらしいのだが、ジャソンは潜入捜査官でありながら会社の理事に収まっている。そこで会長が急死。ジャソンの上司であるカン課長(チェ・ミンシク)は介入を命じる。実は、ジャソンには兄弟分のチャン・チャン(ファン・ジョンミン)がいるのだが、チャン・チャンは会社のナンバー2で有力候補。カン課長の命令と兄弟分は両立しない、さあどうするジャソン、というお話である。

 この映画を作った人は『無間道(インファナル・アフェア)』と『黒社会(エレクション)』が大好きなんだろうなあというのが第一の感想。ジャソンとチャン・チャンは華僑という設定だしね。
 その次の感想は、トニーさん、上司が秋生さんでよかったね、ということ。カン課長は比べものにならない非情さである。それに比べて、チャン・チャンがいい役なんだ。ファン・ジョンミンも上手いしね。作品中唯一のオアシスといってもよい。
 香港映画は韓国映画にくらべてウェットというか、ストーリーにいろいろなものが絡まっているような気がした。それに対して、韓国映画は、ストーリーテリングのためにエピソードが存在する感じ。
 まあ、そのおかげで、香港映画ではありえないかもしれない展開と結末が楽しめたので、これはこれで面白かったといえよう。

 あ、ひとつどうしても書いておきたいことが。
 一緒に行った人が韓国語のネイティブスピーカーだったのだが、セリフの字幕が1カ所決定的に違うそうです。
 病院のシーンで「俺が生き延びたら、お前は俺を許せるか」というような字幕がありましたよね。実は、あれ、韓国語では「許せるか」ではなく「殺せるか」だとのこと。
 それ、ぜんぜん違うじゃん!
 ぜったい「殺せるか」のほうがいいじゃん!
 ということで意見が一致したので、ここにご報告する次第。
【追記】
 最後のくだりがけっこうリツイートされたので、確認しました。直訳すると「お前は重荷を背負えるか」という意味で、解釈としては「殺せるか」が妥当とのことです。まあ生き残ったら、そういうことになる公算は大ですわね。とにかく「許せるか」というニュアンスでないのは確実という話でした。個人的には「殺せるか」という訳の方がぴったりくると思います。

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1962年の香港ロケ作品『社長洋行記』

 まだ、香港話は続くのだが、ちょっと割り込み。
 前から見たいと思っていたのが、やっと見ることができた。1月14日発売。

 予告編。

 貼り薬「サクランパス」を作る会社の社長:森重久弥、営業部長:加藤大介、秘書課長:小林桂樹が香港に行く話である。
 1962年公開なので、その前の、ざっと50年以上前の香港が見られる。
 今はなきパンナムに乗り、着陸するのは懐かしの啓徳空港(ただし空港の中はセットだと思われる)!山に建物がない!
 街頭のシーンなど、思わず「おおおおお!」と声が出た。ペニンシュラは昔からあったんだなあ。他はずいぶん変わっちゃったけど。クイーンズロードかなとか、おそらくピークの下あたりかなとか、香港公園かなとか、想像がつくところもあるけど、ロケ地どのへんなんだろ。道の両側は建物が低くて様式がそろっている。街をもっと映してほしかったなあ(そういう映画ではないことはわかっているけど)。
(【追記】当時の香港を映した動画を発見。詳しくはこちらに)
 ゲストスターは尤敏。美しい。
 だがしかし、いろいろ驚くことも多い、
 森繁、冒頭で「我が社の品位」と言っているのに。タイトルは「Three Gentleman from Tokyo」なのに。特に三木のり平が覚えていた英語、あれはなんだ。行かなくてよかったよ。まあ、考えてみれば、昔の台湾もおっさんどもが「遊び」に出かけるイメージがあった気がする。香港で森繁が新珠三千代を悪びれもせず誘っていたし。ああ時代が変わってよかったことだと心から思う。
 現地の言葉として話されるのが広東語ではなく北京語で残念だった。
 あと、香港狭すぎ。知り合いに会いすぎ。
 それにしても、50年前は、1ドルが360円で、香港に行くとなったら送別会の嵐で総出でお見送り。気軽に遊びに行くなんてできない雰囲気。加藤大介は水筒で熱燗持参、奥さんが持たせてくれたお重の中身はくさやにらっきょうに沢庵(笑うところなんだろう)。海外旅行が一般的になったのは最近のことなのだなあ。ああ、50年後でよかった。ありがたいことである。

 最後は「えっここで?」と思ったら続編があるのね。
 2月10日発売とのこと。

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『ゼロ・グラビティ』

 なかなかハードな日が続いているのだが、連休をいいことに観に行った。これはスクリーン、それもIMAX字幕版で見なければならないと思ったからである。
 なんでそう思ったかというと、以前IMAXで『ハッブル』を観てごうごう泣いたから。宇宙空間を体験するのなら、そりゃIMAXであろう。
 ええ、もういやというほど堪能しました。ちなみに邦題は『ゼロ・グラビティ』だけど、原題は『Gravity』。映画館を出て現実に戻ると、重力と空気のありがたみがひしひしと感じられるのであった。
 
 予告編。

 ハッブル!の修理をするスペースシャトル「エクスプローラー」(新造船である!)。いきなり「お腹をみせるスペースシャトル(こちらの記事などを参照)」が登場して見ているこちらは内心大喜びである。修理に当たっているのはミッションスペシャリストのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)。だがしかし、ロシアが破壊した衛星の破片がスペースデブリとなって襲来し、宇宙に投げ出される。宇宙遊泳時間の記録を狙っていたフライトスペシャリスト(でよかったっけか)のマット・コワルスキー中尉(ジョージ・クルーニー)によって助けられはしたものの、他の衛星が玉突き式に巻き添えになり通信が途絶、無重力・酸素なしの軌道上で一難去ってまた一難去ってまた一難…(ざっと数えてみたら20以上あった)それはそれは大変なことになるのであった。
 ジョージ・クルーニーが吊り橋効果も裸足で逃げ出すかっこよさ。NASAのミッション・コントロールの声は実は『アポロ13』のジーン・クランツことエド・ハリス!きっと「失敗というオプションはない!」などと切歯扼腕していたのではないかと思う。サンドラ・ブロックはちょっと『エイリアン』のリプリーのようだった(特に服装)。過去に辛いことがあり死にたくなるほど大変な現実に直面しつつ復活していくという役どころなのが、徹頭徹尾戦っていたリプリーとは違うのだが。これは同時に何によって救われるかという話でもあるし。
 NASAについては特にクレジットされていないようなのだが、終始映し出される地球は昼も夜もとてもリアルで美しい。場所が特定できたのは夜のナイル川流域とシナイ半島ぐらいだったのだが、本当にスペースシャトルやISSからはあんなふうに見えるんだろうなあ。
 それだけに、もう途方もなく怖い。高所恐怖症の人は宇宙飛行士は無理だと思う。無重力で上も下もない感じもよくわかって具合悪くなりそう。足の裏が何度もきゅっとなるし息つめちゃうし。小さい子供づれのお母さんが来ていたのだが、子供のトラウマにならないことを他人事ながら祈る。
 アルフォンソ・キュアロン監督はメキシコ人で、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ監督とお友達らしい。徹底してやる気質なのか、メキシコ人。
 スペースデブリがまとまって来ると宇宙ステーションの人々は避難するのか、とか、中国はISSには加わらなかったのだなあとか、アメリカ人が大事なときに漢字が読めないというのは絶望的な気持ちがするものだろうなあとか、ああハッブルがシャトルがISSが…とか、いろいろ考えた。軌道上にシャトルがいてISSもあるのにスパイ衛星を爆破しちゃいかんだろ、ロシア。
 現在ISSで船長をされている若田さんの仕事は大変である。無事にミッションを務め上げられることを願うばかり。
 自分だったら、握力がなくて掴まり損なったあげく二酸化炭素でぼおっとしてアウトだろうなあ。人生いろいろ大変だけれども、地上60万キロの軌道上に比べれば空気も重力もあるだけましかも。

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【追記】「スピンオフ」があった。脚本担当のジョナス・キュアロン(監督の息子さん)によるもの。本編を見た人なら「ああ」と思うと思う。本編のあとで見た方がいいかも。

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